この所、蚊が一匹いて、ブログを書いていると足を刺されて気が散る。
昨日は、千葉事業所で高卒の採用試験、優秀そうな生徒さんが千葉にはいるもんだと感動した、今日最終決定するが、一人落とさなければならないのが、非常に残念。
では、今日も始めよう。
金沢支店には、同期が二人いる筈だが、なぜか一人しかいない。メンタルで実家に帰ってしまったようだ。一度戻ったが、結局また実家に逃げ帰り最終的には退職した。なんだかここの生活が不安になってきた。
会社の事務所には、バスでもいけるが、会社の車で直帰した人に同乗させてもらうことが多かった。歩いても、繁華街を素通りして、20分位でたどりつく便利な所だ。
全国見ても、上尾の武蔵野寮や名古屋の鳴海寮みたいに繁華街から遠い寮は少なかった。どこも白山寮のように繁華街から歩いて帰れる寮が多く、寮生には非常にありがたい。
金沢支店の潤滑油課は、課長の平山さん初め、見るからに体のゴツい水澤さん、要領の良さそうな鈴木さん、事務系の先輩、長さんの私の5名だった。元々、長さんと入れ替わる予定だったと思うが、なぜか長さんとは翌年まで一緒だった。
富山出張所に現地駐在の蔵野さんもいた。この人たちと三年弱一緒に仕事をした。
金沢はいい所、住みやすい所だと皆さんの言うが、若い人間にとっては、少し寂しくて物足らない。飲み屋街は大きく数も多いが、若者の遊ぶ所が少なく、風俗街もない(遊郭はあるが、ソープは、加賀温泉まで行かないとない)。仕方なく休みの日には、寮の応接間で駄弁っているか、ビデオを見ているか、皆んなでテニスに行っていた。寮生の付き合いが深くなっていった。本当に一家、兄弟のような関係だった。
仕事は、先輩のアシスタント、同行販売、一人で飛び込みセールス等やったが、何だか面白くなくて会社を辞めようと思っていた。同期の一人も東京で仕事をしたいと会社を辞めた。私は、公務員試験を受けようと思いその前に行政書士の試験を受け合格した。国税専門官の試験を受けようかと思っていたが、受験勉強に挫折し結局諦めた。会社は毎晩遅く、一人で会社に残っていることも多く、俺何やってるんだろうと思うことも多かった。あまり充実した会社生活とは言えなかった。
潤滑油の油担ごとに研修を兼ねた会議がマル教と言って毎年行われていたが、勉強の為と言って大体私が行かされた。最初は行っても何も分からず、怒られることも多く、本社のチーフエンジニアは怖いもんだと思っていた。皆さんからは、どのマル教にも出てくるので、マル教要員と呼ばれていた。まあ、顔が広くなるのはいいことだったと今では思う。
翌年には長さんが転勤になる、この人の家系は、由緒あり、金沢藩の家老職の長家の流れを汲む。この人の名は、長英連といい、男の家族はみんな名前の最後に連の文字がつくという。なんとまあ格好良い名前である。
長さんが居なくなると暫くして、石川県と陸運・建設の担当となった。この頃から仕事が少しはわかるようになってきた。販売店さんとの同行や、本社チーフとの同行もするようになってきた。本社から人が来て時間があると兼六園を案内するのは、私の役目だった。三年間で何度、兼六園に行っただろうか。ガイドさん達の説明は覚えてしまい。ガイド並みの説明ができるようになった。当時の上司の平山さんがあるとき同行で能登を回っているときに、少し時間があり、ここら辺で名所は無いかと聞いてきた。仕事中に何呑気なことを言っているのかと思ったが、聞いて見ると、お偉いさんがくるときには、よく時間合わせとかで、少し時間が余る時があるので、いろんな所の名所・旧跡は案内できるように見ておいた方が良いと言われた、へーそうなんだと感心した記憶がある。その後、後輩にも言った覚えがある。この平山さんとは、後に燃料の取引でもお世話になる。
だいぶ長くなったので、今日はこの辺でまた明日。