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ブログ四十日目、昨日は、パワハラ審査

昨日は社長以下でパワハラ案件の事実認定の審査

仕事を教える側と教えられる側の関係は、人間関係や相性に影響されることが多いと思う。教える側が思い通りにならないとイライラが表面や言動に現れるものだ。特に女性の場合、一度こじれると修復が非常に難しい。また当社の様に定期異動がない会社は事後の対応にも苦慮する事になる。

来週以降に結果を本人たちに通知することになるが、双方納得するのは難しい事だと思う。

それでは、今日の話題は、

当時の我が社のSSでの女性社員は2名、まあガソリンスタンドの会社に就職する人間は当時は少なかった。ただし、SSにアルバイトにくる女性(特に学生)は結構いた。

当然、男女間の揉め事も発生する。

ある時、社長あてに怪文書というか、ある人物を告発する手紙が届いた。あるSSのサブマネのAさんは、アルバイトの高校生Bさんと付き合っている。SSで責任ある立場の人間が未成年と付き合っていいのでしょうか。という事だが、個人的な問題を会社に聞いてくるなと言いたかったが、ともかく事実関係を確認しにAさんに話を聞いた。どうやら事実のようで、手紙を送った人間も大体わかっている様だ、まあ簡単に言えば三角関係のもつれの結果の様なものだった。関係者でよく話してくれと頼んでその場を離れた。

このAさんに関しては、販売は優秀なんだが、女性関係は色々あるようで、モテたんだなと思う。ある時、内容郵便が会社に届いた、内容は、Aさんの給料を差し押さえるという事だった。送り主は、Aさんの元の奥さんで子供の養育費が滞っている為、給料を差し押さえる手段に出たとのことだった。また本人に事情を聞きに行ったところ、離婚当初のとり決めで月一回は子供に合わせるという約束も今は破られており、こちらも養育費を払いたくないとのことだった。子供に会う権利は保証されているのだから、もっと主張すれば良いが、養育費はちゃんと払えと指導し、給料からその元妻に送金するとり決めとした。

暫くは、これで決着と思っていたが、突然Aさんがいなくなり、違った結末を迎得ることとなった。

結婚するのは簡単だが、離婚するのは色々な問題があり大変だなとしみじみ思った。

SSでの男女間の問題は、通常の会社より多かった様に思う。

それでは、今日はこの位にして朝散歩に行ってきます。

 

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ブログ三十九日目、また早く起きてしまった

昨日も、20時位に寝入ったら0時半位に目が覚めた。

YouTube見てたら、いつの間にか2時過ぎてそのままブログ書いている。

それでは、今日の話題は、

SSとお金の問題、SSの支払いは昔は掛売り、個人でも付け払いが存在した。流石に今では法人向けに掛売りが一部存在すると思うが、今では殆どがカード払いか、現金だ。

SS業界では逸早くクレジットを導入し専用カードから提携カードが導入された。そして掛売り、現金からの切り替えを推奨していた。

ただ、量販店、特に大量に販売しているセルフSSほどまだ現金の売上金額は大きい。一時期全国一の販売を誇っていた某SSは一日の現金売上が5百万円ほどあり、その集計を毎日メンバーが行って入金機に入れていた。

ある時、SSの事務所に入ると大量の千円札が机の上に置かれて、メンバーが数えている時に遭遇した。

毎日、数百万円の紙幣を数えていると現金という感覚がなくなってくるという。そりゃあ毎回ドキドキしていては体によくない。

ある時、そのSS所長から売上金額が80万円ほど合わないと連絡が会った。エリマネと現場に向かい、再度売上と現金を確認し差額を確認した。現金チェックしたタイミングを確認して、それから事務所内の監視カメラを確認した。

SS内でその間のビデオ映像を確認した。見ていると途中でビデオを止めた人間がいた。当然、なぜ映像を止めたのか聞く事になる。本人は事務所で携帯をいじっていたので見られたくなかったとのことだが、なぜそうしたのか解せなかった。

何度も尋問し確認したが、知らないの一点ばりだった。

彼が盗んだというはっきりした証拠はなかった。ただし彼がビデオを止めたため、その間の事務所の様子がわからず、盗難の現場が確認できなくなったのは事実だった。

結局、彼には依願退職してもらった。退職金を現金で払い、80万円を現金で補填してもらった。

何とも後味の悪い結末の事件だったが、誰かが損害を埋めなければならなかった。

このようにSSは多くの現金を扱うところであり、定期的にSSに行くとその度に現金を数えていた。

私が着任する随分前に後払いのセルフSSで、夜間バイトのメンバーが現金を持ち逃げしたことがあったそうだ。その状況が監視カメラの映像に残っていたそうだ。警察に夜間バイトが一人で勤務しているのに、目の前に現金があるというのは取ってくれと言っているようなものだと言われたそうだ。

人は、弱いもので、お金が欲しくて目の前に現金があると自然と手が出てしまうものだということだ。これを小売統括グループでは、人間性弱説と言っていた。

埼玉勤務期間中で一番大きな現金不付合い事件だった。

さっき、東北地方で大きな地震があったようだ、最大震度5弱の地震が盛岡で記録されたらしい。東北大震災を思い出した、あの時は、大きな地震があるたびに停電したのが困り物だった。今は停電していないらしい。震源地は三陸沖だったが沿岸地区に津波はないようだ。それは幸いだ。

やっぱり、東北には地震がつきものの様だ。いつまで経っても安心できない。こんなところによくも原発をいくつも作っていたものだと思う。

それでは、今日はこのくらいにする。

 

 

 

 

 

 

 

 

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ブログ三十八日目、10月と言うのに真夏日

昨日は、在宅勤務で自宅だったが、外は30℃近い暑さで、10月と言うのにまだまだ暑い日は続きそうだ。

さて、今日はどんな話を書こうか。

消防から連絡があり、SSから廃油が流れていると言う。

どうしたのかとあるSSへ行くと、SSの下流域の住民から小川から油のような臭い匂いがすると消防に連絡が会ったとのこと。消防がその小川を遡ると排水溝があり、そこをたどるとウチのSSにたどり着いた。消防は油回収マットで廃油らしきものを回収して当社へ確認にきた。発生源はウチのSSの油水分離層でそこから汚泥が溢れ出したようだ。というよりは、排水口のL字配管が脱落して直接、汚泥が外に出てしまったようだ。

油水分離層はSS内の油分を油水分離して水分だけ雨水として排水する設備だ。構造は簡単で、油は水より軽いので浮くという原理を利用して、いくつかのマスの下から水を次のマスに水を流す。その配管が外れていて前のマスからそのままマスの外に水が流れた様だ。

油水分離層は定期的に清掃している。清掃業者はL字配管が外れていたことを知っていてSSメンバーに知らせていたということだが、誰も知らなかった。あまりみんなこの自体を大きなことと思ってなかったみたいだ。その日の夕方に油水分離層の汚泥を吸い取り、清掃してL字配管を元に戻してその日は解散した。

その日の夜から翌日午前中にかけてすごい豪雨がとなった。その間、社長以下、私とエリマネの四人で対策会議をしていた。手分けして消防署、市役所、県事務所等へ訪問する事になった。

雨が降り止んで、現場を確認すると油分どころか、油吸着マットも跡形もなく流されていた。文字通り、雨で水に流されていた。消防署でも油水分離層のL字配管が外れていたことが原因だと説明、清掃業者が作業中に外れたと業者の責任として説明した。消防から特にお咎めはなく、消防に油吸着マットを返して一件終了した。関係の役所へ自体を報告したが、特に咎められることはなかった。雨水の排水を小川ではなく下水に流す様に住民から依頼が会ったが、設備投資は出光の役割なので、自体を報告して、その旨依頼したが、その後どうなったであろうか。

この件は、豪雨のお陰で事なきを得た貴重な経験だった。

それでは、今日はこれ位にしておく。

 

 

 

 

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ブログ三十七日目、SUP漕いできました

昨日は、土曜に続いて晴天、SUP日和だったので、多摩川を六郷橋から多摩川大橋まで漕いできた。行きは調子良く進んだが、帰りは向かい風と満ち潮による波が立ち、抵抗が強くて少し疲れた。

それでは、今日のお話は、

お客さんとのトラブル、三郷のSSで、路上看板を出していたが少し歩道にはみ出していた。あるお爺さんが自転車で歩道を走っていると前に看板があるので避けようと車道に出ると車に煽られ、転倒した。それを見たSSの所長が、助けて病院に連れて行った。

初診の費用は、こちらで負担したが、以降の費用は、そちらで負担して欲しいと相手に伝えた。しばらく文句をいっていたが、無視していた所、そのお爺さんの姉と名乗る女性から電話が掛かってきた。近藤エリマネが電話対応したが、実はそのお爺さんは自殺をして、その遺書に三郷SSの所長への恨み辛みが書いて会ったそうで、そのクレームを延々と電話で伝えられた。長時間の電話で仕事にならないので、また弁護士さんにお願いした。弁護士さんにも長時間のクレーム電話をかけてきてそれを録音で聞かされた。お爺さんの自殺にはうちのSS所長に責任がないのは明白であり、もっと言えば、もともと自転車は歩道を走ってはならないのであって、看板がはみ出していようとそのこととお爺さんが転倒したことは関係ない。

この件は、その後、おばあさんからの電話はなく、訴訟にもならなかったが、人が自殺して死んだと事実が衝撃的だった。

それでは、今日はこの位にして朝散歩に行ってきます。

 

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ブログ三十六日目、昨日は飲んだ

昨日は、朝から散歩10㎞、風呂入って、掃除、サイクリング20㎞、いつものサウナ、帰って家飲み、白ワイン半分で撃沈、目が覚めたら19時だった。そのままベットに寝てたら、2時半だった。

いつもながら、サウナ後はよく眠れる。今朝は少し頭が重いが、水分不足になっていると思う、サウナ後の飲みは水分補給が欠かせない。

では、今日も行ってみよう。

SSという所は、世間のあらゆる階層の人たちが集まる所である。そこで働いている人達も必ずしも上等な人ばかりとは言えない。また、現金を扱う商売なので、それの関わるトラブルも多い、メンバーの女性関係のトラブルも多く、ヤクザ関係のトラブルもあった。それについては次に書く。

着任後、いよいよ3面記事の生活が始まった。

埼玉アポロの本社は、埼玉中央SSの後ろにある研修センターの二階にあり、社長以下、統括部長の私、エリアマネジャーの二人、経理課長と課員が二人、営業課の三人の計10人だった。

まずは、36箇所あったSSを回ることから始まった。

当然、車がないと困るので、前任者は部長車を与えられていた。それを引き継ぐものと思っていたが、社長車のアリストを返すことになったので、社長と車を兼用することになった。ちょっとあてが外れたがしょうがない。

SSでのトラブル対応は、エリマネと私の仕事で、ほぼ毎月、弁護士さんの所へ行っていた。

まずは、ヤクザが洗車に来た話。

ある日、狭山のSSに見るからに怖いおじさんがSSに洗車にきた。近くのファミレスで食事してくるとおじさんはSSを離れた。洗車後、車はSSに置いていたが、暫くして他の人がその車を取りに来た。アルバイトが洗車代をもらい車を引き渡した。

その後、さっきの怖いおじさんが車を取りに戻ってきた。

おじさんは、車はどうした、人にとりに頼んだことはない。と言い。それで車の盗難がSSで起こった事が分かった。

すぐに電話で呼ばれ、現地に急行し対応に当たった。

怖いおじさんの話では、車には合計5百万円相当の時計が積んであり、それは関西の暴力団から借りたもので、それを担保に群馬の暴力団に金を借りにいく途中だという事だった。

すぐに警察に行って、刑事さんと話をした。SSでの洗車にまつわる盗難、詐欺事件は、関西で話には聞いていたが、本当に自分が遭遇するとは思はなかった。

そうこうしているうちに、三日後、その車が見つかった。なんと車を受け渡したアルバイトがパチンコ屋の二階の駐車場で見つけてきた。

当然、積んでいたという高級時計は見当たらない。どうにも話ができ過ぎているので、警察と相談しアルバイトに事情聴取をお願いした。だが結局、何もわからなかった。

怖いおじさんとの示談交渉は顧問弁護士の山本先生にお願いした、この先生は民暴の鷹という漫画の主人公のモデルと言われている人で、暴力団関係の事件には強いという評判だった。この先生の仲介で、我が社は示談金として50万円を支払い社長が謝罪する事で決着した。弁護士事務所へ社長と経理課長が現金50万円を持っていき、おじさんに社長が頭を下げた。

これで事件は決着と思いきやそうではなかった、盗難に会い戻ってきた車は借り物でその車の持ち主が、車を傷つけられたと言いがかりをつけてきた。これは弁護士さんに対応をお願いしたが、相手側の言い草に先生も頭にきて、訴訟を起こす事になった。

私としても初めての裁判となった。一度公判にも立ち会った。相手側の証人は怖いおじさん、こちら側の証人は狭山SSのサブマネだった。サブマネも裁判所で証言するのは初めてで緊張していたが、裁判長は安心するように優しく声をかけていた。

こちらの先生が、証人の怖いおじさんにいきなり「あなたは反社会的組織の人間ですね」と言ったのは驚いた。

結局、裁判の結果は、こちらの勝訴で終わった。

初めてのヤクザとのトラブル、裁判も経験した。

それでは、今日はこれ位にして、散歩に行ってきます。

 

 

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ブログ三十五日目、台風一過、緊急事態宣言も終了

昨日は、台風16号はいつの間にか通り過ぎ、いよいよ新型コロナの緊急事態宣言も解除となった。会社では無事内定式を挙行し、私のインプラントもしっかり入ったのを確認できた。

では、今日は、埼玉でのお話、

関西支店から、役職者として埼玉アポロの統括部長として転出した。初めての役職として、販売子会社に転勤となったが、もともとSSの商売に詳しいわけでもなく、どうしてこんな人事が出たのか不思議だった。新任役職者研修の会食で木藤さん(当時は人事部次長)に自信がないといった記憶があるが、そんなことを小売統括部長の細川さんに言うなよと言われた。

埼玉アポロの前任者は東京支店での後任の佐伯くんだった。(彼は沖縄アポロの社長で転出)当時の上司の社長は、星野さん(今の人事部長)で、また1年後輩の上司だった。

着任前に当時の小売統括部販売課長の大島くん(倉校同期)からメールがきて、販売子会社では3面記事に載っているようなことが毎日の様に起こる、この事態を出向者の皆さんが日々どうやって対応していくかによって子会社プロパー社員にどのような影響を与えていくかが決まってくる。だからしっかりと対応してくれと、少し脅されているのかともとれるメールが届いた。正直本当かよという気持ちだったが、実際に本当に3面記事に載るような事件を経験した。

引き継ぎの日程も決まり、さあいくぞと気合を入れていると、今度は星野社長からメールが来た。

油外販売が優秀で目標達成を継続しているSS所長が、目標未達の残金分を自腹で売上を立てたと言う事件があって、その対応の内容だった。いきなり大島課長の言ったことが現実になっていた。

目標未達分を自腹で補填したとは、表面上は問題無いかのように聞こえるが、立派な不正行為で、当時の油外収益については、給料にも影響していた(給与の不正受給にもなる)。

その所長は優秀だと将来を嘱望されていたが、サブマネに降格、月給の1割減給一ヶ月の処分が下った(やがて復活した)。

まだ、私の着任前のことだった。

また、着任したその日に当時日本一の販売量を誇っていたふじみ野SSで店長を兼務していたエリアマネジャーとバイトリーダーの女性との不倫問題が発覚していた。

星野社長と一緒にふじみ野SSに行って、二人に話を聞いた。二人ともそんなに悪いことをしたとは思っていない様だった。エリマネは他SSへ異動になり、バイトリーダーの女性は辞めてもらった。

この事件を告発したのは、パート勤務の女性で二人が抱き合っているのを見たと言う、こんなふしだらな職場では働きたくないと言って訴えてきた。結局は二人とも辞めて事件は幕引きとなった。

初っ端から、今まで経験したことのない、3面記事事件から始まったが、これから三年間ほぼ毎日こんな状態だった。

それらについては、明日から一つずつ書いて行こうと思う。

では、今日はこの位にして、これから朝散歩に行ってきます。

 

 

 

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ブログ三十四日目、もうすぐ台風

外は雨が降ってきた、もうすぐ台風がやってくる

今日は関東地区に台風がやってきそうだが、会社では内定式が行われる。昔は、10月1日は、一日どこかで拘束され夜はどんちゃん騒ぎだったが、内定式とは、変わったものだ。

それでは、今日も始めよう。

関西支店には、同期が三人いた。事務系潤滑油の同期の山口くんは販売二課で大阪南部を担当していた、私より先に名古屋に転出した。津田くんは販売子会社の京阪アポロの常務だったが、やがて病気で亡くなった(肺癌だった)。田中くんは身長180㎝・体重100㎏を超える巨漢で、一度私が齊藤課長に責められていた時に、助け舟を出してくれて非常にありがたかった。彼も亡くなって今はいない。膵臓癌だったらしい。そういえば販売一課でお世話になった高橋健二さんの訃報が少し前に回っていた。あの人も膵臓癌だった。同期が在職中に亡くなるのは寂しい限りだ。あと一人、同期で、盛岡のときの部下の葛屋くんも原因不明の突然死で亡くなった。

この年になると、昔お世話になった人の訃報に接することが多くなってきた。新入社員時代の潤滑油二課長の広瀬さんも先日なくなった。自分もこれから20年〜30年の間には、死んでいるのだろう。今を大切にしようとしみじみ思う。

2年間、齊藤課長の下で辛い思いをしたが、最後の一年は、齊藤さんは副支店長に昇格、後任課長は、事務系潤滑油の一年後輩の田口さんだった。これから後輩の上司に使えることとなる。最初は変な感覚だったが、今や三人目の後輩上司で慣れたもんだ。全然気にならない。

田口さんの時に役職に昇格してくれた様で、次の異動で埼玉アポロの統括部長として転出した。

それでは今日はこれ位にして、朝風呂に入ってきます。

 

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ブログ三十三日目、一月越えてもまだ続く

明日は、いよいよ台風16号がやってくる。

今日は、台風前の静かな一日になるのかな。

それでは、今日は、販売企画課での三年を振り返る、その前に販売一課最後の活動として、ISO14001の認証取得を支店として取得を主導したことを書いておく。前任者の斉藤さんからの引き継ぎで何とか本社の安全環境室の山口さん、山根さんの協力の元、1年かけて取得することができた。支店を動かし自信につながった。業務改善リーダーも務めた。自分の課以外でのリーダーシップを発揮した記憶である。

それでは、販売企画課での三年間を振り返る。

私の異動と一緒に課長も変わった。課長は京都支店の販売課長の齊藤さんが異動してきた。京都支店にいる時から、歯に衣着せぬ物言いをする人だなと思っていたが、これがどんどん激しくなってきた。

仕事は、揮発油の油担で、結構支店中枢の仕事を担うことになった。後にSS補修の仕事も引き継いだ。

齊藤さんとは本当に合わなかった。というよりは、自分は相当嫌われているのかと思うほど、あたりが強かった。

まあ自分の動きが、齊藤さんの期待感にかなり足らなかったんだろうと思うが、こちらは、自分なりに期待に答えようと頑張ったつもりだった。お互いの想いのギャップが辛い結果を招いた。後日、齊藤さんが常務を退任される最後の人事担当役職者会議の後、常務室に呼ばれて頭を下げられた。大阪では辛かったと思うが申し訳なかった、ごめんと頭を下げられた。常務から頭を下げられてもこちらも返答に困るが、それならもっと大阪で考えて対応してもらいたかったが、その時は余裕がなかったとのことだった。

今、少しでも当たりが強いとパワハラと言われるが、その時は本当に病院に行こうかと思った。世の中も変わったと思う。

病院と言えば、睡眠時無呼吸症の治療を開始したのもこの時期だった。

当時、新幹線が駅をオーバーランした事件があり、その原因は運転手の居眠り運転だった。居眠りの原因が睡眠時無呼吸症で全国に有名になった。

大阪市内の専門病院に行って泊まりがけの検査をしてもらった。案の定、重度の睡眠時無呼吸症と診断され、その後は、今もC-PAPという機械をつけて寝ている。また月一回の通院を継続している。C -PAPをつけるとキリが晴れるようによく眠れるという人がいるが、私はそんなによく眠れる感じはしない。特に午後に耐えがたい睡魔に襲われることがある。後にこれは、血糖値スパイクによる為だと分かったが、その時は良い睡眠が足らないと思っていた。

この時から、良い睡眠と言うものに興味があり、枕、布団、マットレス、に拘っている。コアラマットレス、エアウィーブ、通販で買った枕は、快適な睡眠に貢献している。

今日はこれ位にしておく。

 

 

 

 

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ブログ三十二日目、昨日は20時まで仕事

昨日は、珍しく20時過ぎ迄仕事した、我が社の供給本部の方向性について議論していたら、いつの間にか20時を超えていた。いつもは、おねむの時間で最後は頭が働いていなかった。

それでは、早速昨日の続き、

長男は長女と対照的で、あまりしゃべらず、自分の好き勝手に動き回り、どこかマイペースのところがあった。今もそれはあまり変わっていない。

長女の様にニコニコ笑っているのを見た記憶がない。従ってあまり興味が薄くなった。そのため長女の様にあまり可愛がった記憶がない。

身体も弱く、よく病気をした。一度、ロタウィルス感染で高槻病院に入院したことがあった。インフルエンザで高熱を出して救急車を呼んだこともあった。息子をずっと抱いていたのでお陰で翌日はこちらがインフルエンザに感染していた。

妻が長男を妊娠中に父が亡くなった。宝塚の柴田石油さんに行って部長さんと話している時に、家から電話があった。仕事中なので出ないでいると、今度は会社から電話が会った。流石に会社から急用かと出ると、田中課長からで、私の父が危篤と家から連絡があったので、すぐに帰る様にと指示が会った。販売店さんにはその旨伝え、すぐに帰社して、帰宅した。そのまま、喪服を持って、新幹線に乗り、小倉のがんセンターに直行した。父はもう死ぬ寸前で家族が全員集まるまで生かされているという状態だった。やがて東京で働いていた弟もやってきて、父はご臨終の時を迎えた。妻にはそれをすぐに伝えた。

もう時刻は真夜中を過ぎていた。葬儀屋さんは、母が互助会の会費を納めていた所へ連絡し、自分達と一緒にご遺体を曽根のセレモニーセンターへ運んでくれた。

父の遺体は布団に寝かせられ、私と弟はその隣で寝た。里見の叔母さんが来てくれて一緒に遺体を見てくれた。母は一度帰宅して身支度をして朝にまた戻ってきた。

翌日、葬儀屋さんと葬儀の様式、規模、費用について相談し、檀家であるお寺の住職さんに連絡してもらい、通夜、葬儀の相談をした。これらは初めての経験だったが何とかなるもんだ。

父の葬儀には、大阪から田中課長、宝塚石油の社長が来てくれた。宝塚石油さんには、ちょっと多めのご香典をいただいたので、気持ちだけいただきたいと思い、大阪に帰った後お礼まわりに伺ったついでにお返ししたら、のちに電話がかかってきて怒られた。黙ってもらっておいた方が良かったのか。

酒好きというか、アルコール依存症で、酒乱の気もある父で母には随分迷惑をかけた父だったが、72歳でこの世をたった。若い頃は、胃潰瘍で胃を切り、C型肝炎で二度の肝臓癌の手術、最後は肝硬変による肝不全で亡くなった。

自分も遺伝というか、お酒は好きだが、父の様にはなりたくない。お酒は本当に飲みたい時だけ飲む様にしている。

関西支店勤務も二年過ぎた頃、店内異動の内示があった。異動先は販売企画課だった。いよいよ苦難の三年が始まる。

この話は、また明日。

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ブログ三十一日目、やっと歯が入った

昨日は、インプラントの歯が、やっと2本入った。

随分と昨日は、治療に時間がかかったが、入れた歯は一晩たっても特に問題はないんで少し安心した。今の歯は仮で止めているそうで、1日に正式に固めるそうだ。その日は台風の直撃が心配だ。

さて、昨日の続き、

関西支店販売一課は北摂、阪神及び大阪市内の販売店さんを担当していた。大阪府の大阪市とその北部、兵庫県西宮市までが担当で、比較的市況がよく、店主の人柄も穏やかな所だった、

最初は、関西人っておっかない人たちの集まりかとビクビクしていたが、付き合って見ると人情もあり、なかなか面白い人たちだとわかる。色々と各地を転々としてきたが、大阪は好きな町・人の上位にランクしてもいいと思う。

大阪人は会った最初に舐められないように、何やら脅すような事を言う人が多い、所謂、「かます」ことが多い。これで大阪の人は怖いと思われがちだが、付き合いが深まるにつれて人柄が伝わってくる。

商売も要求が厳しいが、それが終わるとそれまでの交渉を忘れて楽しむという切り替えの早いところもある。

飲んだり、食べたり、遊んだり、時々仕事という最初の二年を販売一課で過ごした。忘れられないのが、柴田社長とホノルルマラソンの話をしていて、自分も挑戦できるかもと思って、ジョギングを初め、今まで続けてきた。その間、十数回もフルマラソンを完走した。このことは、今でも自分の自信に繋がっている。去年からマラソン大会が中止で寂しい限りだ。また夏の大阪湾の埋立地で24hマラソンに、皆んなで参加したこともいい思い出になっている。テントやビニール椅子を手配して、氷をもらって飲み物を冷やしたり、カレーを作ったり、まるで大勢でキャンプをしているようで楽しかった。

また、この時、長男が生まれた。転勤でまた水が変わって良かったのか一姫二太郎がちゃんとハマった。今度は逆子のようで自宅出産とはいかず、病院で帝王切開することになった。出産日も10月1日と決まり、呼ばれた時間に病院で待っていると生まれた赤ちゃんが運ばれてきた。まあなんと感動も何もないことか、長女が感動的なだけに対比が激しかった。

無事に誕生はしたものの、男の子は体が弱くよく体を壊した。病院のお世話によくなった。その子も今では大学生になっている。やっと家族が四人、一家が揃った。

それでは、今日はこのくらいにして、朝散歩行ってきます。