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ブログ六十一日目、昨日も飲んでしまった

昨日は、本社の後輩二人が夕方やってきたので、二日続けて呑んでしまった。

昨日も、ちょっと飲みすぎて、今朝は4時の腕時計のアラームで目が覚めた。少し小雨も降っているようなので、今日も散歩はお休み。夜の飲みが入ると一日の習慣が若干変わってしまうので、今日はまた元の生活習慣に戻そうと思う。

昨日は、潤滑油部の後輩二人に対して、今の会社や社員に対して思うこと、自分の人生に対して思うことを自分勝手に話してみたので、非常にスッキリした。聴いている方はそうではないかもしれないが、人に自分の考えを話すことは、ストレス解消にもなりそうだ。

今週は、会議、来客、会食と慌ただしくすぎもう木曜日だ。一週間がなんと短く感じることか。

今週末は、天気が良さそうなので、またSUPを漕ぎ出そうか。日曜は、散髪していつものサウナに行こうか。週の半ばを過ぎると次の週末の事を考えるようになってきた。やっとワークよりライフが優先になる考えが身についてきたようだ。

今朝は、あまり考えがまとまらないので、これ位にしてまた明日。

 

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ブログ六十日目、昨日も飲みすぎた

昨日は、取引先と暫くぶりの会食で少し飲み過ぎた。朝起きたらもう6時前で、良く寝たなと思った。

工場に入っている協力会社の社長さんとは、年2回位会食を行っていたが、この新型コロナの影響で1年半以上ご無沙汰になっている。緊急事態宣言も解除され、東京都の感染者数も激減しているので、そろそろ復活したいということで、第一弾だ。

前社長は、協力会社を大事にする人で、会食も定期的に相当な回数行っていた。但し川崎で会食する事が少なかったので、川崎のお店をよく知らない。というより、接待で使えるようなお店があまりない。特にお昼は、「うなぎ」か「とんかつ」しか思い浮かばない。

夜も、中華料理の店が多いくらいで、肉、魚、和食、洋食ある程度のレパートリーを持ちたいが、2年半住んでいるが、あまりいい店を知らない。これからの1年半でいろんなお店を探し出したいと思う。

さて仕事の話だが、まず採用活動は、春の新卒と中途採用の年間採用を行っている。中途採用は転職エージェントを使っているので、紹介された人から面接していくことになるが、新卒は、インターンシップから始まって、一次、二次面接を経て内定を出すが、ここ2年採用をやっているが、当社にはほとんど男の学生が来ない。きても女性と比べると見劣りし、選考に受かる人間がいない。優秀な男子学生は、皆んな大手上場会社に向かっているのか。このまま、女性が中心の採用状況でいいんだろうかという疑問があるが如何ともし難い。このままで10年後どのような状況になるか想像すると末恐ろしい。

だが、ダイバーシティの世の中なので、これも仕方がないのかと思う。特に女性の多い職場では人間関係が非常に難しくていろんな問題が起こる。所謂、ハラスメント問題だ。男でも教える側と教わる側では色々と難しい面があるが、女性の場合は尚更だ。先日もパワハラの疑いの告発が有った。

調べる方も警察じゃないので大変だ。結局パワハラの証拠は確認されず、パワハラ認定はされなかった。(結果は不起訴って事ね)

今日は、これ位にしてまた明日

 

 

 

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ブログ五十九日目、今朝は冷たい雨。

昨日の月曜日はいつもの在宅勤務、どうもオンオフの切り替えが上手くいかず、しっくりこない、出社制限がなくなったら、通常出社しよう。

さて、川崎でのお仕事は、総務部長と経理課長兼務、毎日会計伝票のチェックと捺印、オンラインでの出金処理と社印・社長印の捺印でかなりの時間を費やす。月一回の合同部所長会で出向役職者の定期打ち合わせ、その日は懇親会とペースは掴めてきたところで、7月に白内障の手術のために入院した。

手術は、特に問題なく終了したが、術後うまく見えない。画像が歪んで見える。網膜の上に幕がはり、それが歪みの原因と言われ、目薬をずっと処方されているが、1年以上状態は変わらない。視力はやっと0.1程度だ。

このまま、左目ははっきりと物が見えないままで続きそうだが、右目に異常が出たら、見えなくなるのははっきりしているので、なんとかしたい。来年はまた手術するしかないかと思う。

今年になりいよいよ歯にも異常が出てきた。以前欠損してブリッジをかけていた歯がもうもたなくなった。

駅前の歯科に行ったら、インプラントを勧められた。

二本の歯で、自費で相当な金額が必要だったが、医療費の所得控除が貰えるということなので、思い切って入れてもらうことにした。歯が入るまでに半年近くかかったが、今は二本入り問題ない。税金がしっかり取られているので、こんな時はしっかり返してもらいたい。

もう60歳前なので、何かと体にガタがきているのがわかる。「歯」「目」にきたなと思った。今は体の事を中心に考えている。

明日は、健康について書きたい、では今日はこれ位にしてまた明日。

 

 

 

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ブログ五十八日目、昨日も最高のお天気

昨日の日曜も、朝からこの時期最高のお天気、早朝からジョギングと午前中にSUPを漕いで、昼にはサウナと昼呑みの贅沢な一日を満喫した。

多摩川を六郷橋から大師橋へ降ってからまた登った、戻る途中で、富士山が綺麗だったので、写真をパチリ。

では、今日も行ってみよう。

網膜剥離の手術は、何とか終わり、引越しも無事終わった。妻が引越しの手伝いに来てくれたが、今後は東京で遊ぶベース基地したいみたいだ。

左目は、まだガスが入っており、気圧の変化は避けた方が良いということで、北九州への出張も飛行機を使わず、新幹線で行った。

社宅の目の前の新川橋病院へ転院して、夏に白内障の手術をすることになった。その後視力は良くなるかと思いきやまだ左目は画像が歪んで見える。レーシックの手術のせいだと思うが、今の先生は網膜に幕が張っていると行っていた、網膜はシッカリと定着していると言われたが、なんとも怪しい。もう2年半もこの病院に通っている。

川崎転勤の一年目は総務部長として各事業所を知るために精力的に各地を訪問した。大体仕事にも慣れ、当時の社長が異動した頃に新型コロナが流行し出した。それ以来、大勢での会議、研修、会食はなく、PCによるリモート会議が一般化した。働き方改革も新型コロナの後押しで一気に進んだ。在宅勤務も普通になってきた。

新型コロナ禍の生活が1年以上続き、ワクチンも2回打ってもうこれが通常の生活リズムになってきた。

それでは、仕事の話はまた明日。

 

 

 

 

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ブログ五十七日目、昨日は、爽やかな青空

昨日は、朝から晴天、お散歩日和、いつものように、洗濯、お風呂掃除の間、ロボット掃除機がフロアの掃除。午前中、多摩川へ散歩10km。土曜日のちょい飲みセットを目当てに蕎麦屋のたかへ。蕎麦屋のつまみを食べてビール1本、日本酒二杯。二杯目の銘柄を間違ったので、二杯目はお店のサービスにしてくれた。帰りに途中の酒屋で日本酒(雪中梅)を買って、帰って飲んだ。これで土曜日の日課は終わり、いつの間にか記憶がなくなり、さっき3時に目が覚めた。

今日も天気が良さそうなので、朝の散歩と、SUPで多摩川を漕いでくるつもりだ。それから余裕があれば、サウナで昼呑みで締める。

さあ、今日も行ってみよう。

久慈では、6年で四人の所長に使えた。最初の野見山さんには、F2に昇格させてもらった。復興工事の1年間忙しい中で働きぶりを評価してくれた。次の松浪さんは飄々とした雰囲気が特徴で同期の行成さんと一緒に盛岡にコンサートに行った。岩手山に登ったり、温泉に行ったりもした。次の大藤さんは、思いが強過ぎて、いつも所長室に入ると長時間話を聞かされた。私の力不足か、期待感に答えられず、後半は叱責される事が多く、流石に辛くてこのままだと病院通いが必要だと思い始めていた。大藤さんは、JOGMECの所長も大っぴらに非難して、本社から需給部へクレームが入ったようだった。私も辛い状況を人事部へ連絡して榎本次長が何とかしてくれそうだった。

結局、需給部の調査の結果、パワハラ認定がされたようで、人事役職者会議の資料に載っていた。所長は期中で異動になり暫く不在で、技術系副所長が臨時の所長代理を務めた。次の所長の山口さんは61年入社で3人めの後輩上司になる。また元のようなのんびりした備蓄生活が戻ってきた。しかしもうすぐ6年になり、もうこの地は移った方が良さそうだと思った。

丁度、三河観光のバスツアーで大曲の花火大会があったので参加した。お目当ては、山二さんの宴会に合流する事だ。販売部長で同期の内川さんはじめ、販売部隊の面々が招待されていた。事前に盛岡の所長に連絡をして、行くことを伝えてもらっていた。

桟敷席でも一番前の特等席で、昼花火から提供花火まで見た。最後は、三河さんのところに帰ってみたがやっぱり違う。

久慈への帰りは、案の定、大渋滞で大曲を出るのに随分と時間が必要だった。久慈についた頃には、もう朝日が出そうだった。

大曲に行った目的は、次の異動でどこかに移動させてもらいたいという下心が有った。結局、販売部隊からはお呼びがかからず、次の四月の異動で今の職場へ転勤になった。潤滑油部出身の榎本次長の配慮が有ったのだろう。

最後の一年間は割といろんな事があり慌ただしかった。最後に左目に異常があるのに気づき地元の眼科に診てもらったが、眼球内に出血があるという。薬を処方されてしばらく様子を見ようと言われ、そうしていると、視界の一部が黒くかけてきた。娘と相談すると盛岡の眼科で診てもらった方が良いというので、盛岡駅前の眼科を受診した。結果は網膜剥離ということで、もう相当網膜が剥がれており、しばらくすると見えなくなるという。来週にでも手術した方が良いとのことで、市民病院に入院することになった。

以前、レーシックの手術をしているため、網膜剥離の合併症の白内障の手術ができないとのことなので、そこでは網膜剥離の手術だけだった。しかし出血の為、眼球の中が見えないため、術後の網膜の状況が分からない。眼球内の血を取り除く手術をまた行い、暫くして退院できた。

入院中に異動の内示があり、転勤先への挨拶や、引越しの手配を病院のベットで行った。WiFiの使える一階ロビーにずっといたら、看護師さんに怒られた。

退院後も左目はしばらくよく見えず、眼球内に水が溜まる様子がよくわかった。一ヶ月後の検診を終わり次の病院の紹介状を書いてもらい盛岡を去った。

久慈の送別会、後任者への引き継ぎも終わり、3月30日に引越し、その日の夜の夜行バスで川崎に向かった。翌朝には荷物が届いて荷入れを行った。なんとも慌ただしい引っ越しだった。

それでは、今日はこのくらいにしてまた明日。

 

 

 

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ブログ五十六日目、今朝は、素晴らしい朝日を見た

昨日は、千葉の人達と、2年ぶりに飲んで、帰り着いたのは11時前、そのまま床について、2時半に一度目覚め、流石に二度寝して6時前に起きたら、丁度、朝日が登って来ていた。久しぶりに素晴らしい朝日を拝んだ。今日も一日良い日でありますように。

久しぶりに二度寝した。このところ飲むと飲み過ぎの嫌いがある。流石に3〜4時間ではアルコールが抜けないようだ。

それでは昨日の続き、

久慈といえば、秋祭りだ。盛岡にいる頃には知らなかった祭りだ。秋のお彼岸の頃、秋と言っても岩手ではこの頃、随分涼しくて、夜は肌寒い頃だ。前夜祭から始まって、神様が降りてくる「お通り」「中日」「お環り」の四日間のお祭りで久慈事業所挙げて地元貢献の為、御神輿担ぎで参加する。

地元の「朋友会」という町内会を中心とした組織に入れてもらい御神輿を担ぐ。毎年、新入社員の採用試験の後に日程があるので、いつも前夜祭には会社の社長・専務・総務部長と言った幹部も参加する。

始まる前から、ビールや日本酒を飲んで景気をつけて神輿を担ぐ。最初は肩が神輿の棒に当たり腫れ上がる。慣れてくると肩に緩衝材を入れてショックを和らげる方法を知った。

去年と今年は、このコロナ禍で中止になったらしい。残念なことだ。来年は再開してほしい。

秋祭りも過ぎるともう冬に向けて季節は進んでいく。

その前に、東北には台風が直撃することはないのだが、一度、台風が久慈を直撃した事があった。

昼間から台風による風が強く、日勤の人たちは午後には退勤させた。社宅で大人しくしていると徐々に雨が強くなり、地元の消防団の見回りの鐘が響いていた。

翌朝知ったが、久慈川が反乱し、駅前を中心とした市街地が1m位水没した。市街地は震災以来の被害に見舞われた。

久慈川の上流域に集中豪雨が降り、木が倒れて流され、下流の橋に引っかかって、ダムのようになって川を氾濫させたようだ。日頃よく利用させてもらっている「輝鮨」さん初め街中のお店は全て大きな被害を受けた。

早速、被害を受けた方々のために、ボランティア活動が始まった。土日の休みに希望者を募って、被災された方の家の片付け、流れ込んだドロのかき出しを行った。結構な重労働だったが、みんなで力を合わせて地元の方々の力になった。

備蓄基地が存在できるのも地元の人々の理解と協力があってこそだから、地元への貢献は欠かせない。

久慈市長はじめ地元の人とは親しくさせてもらった。

それでは、今日はこの位にしてまた明日。

 

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ブログ五十五日目、今日は冷え込みそう

今日は、朝から千葉に直行だが、今年一番の冷え込みのようで、昨日コートを出した。

だんだん秋が深まり、冬に向けて季節が動いているのがよくわかる。昨日の会議でもう年末の仕事納めの話が出ていた。

それでは昨日の続き、

久慈には、総務課長で4年、副所長で2年、計6年と社歴でも最も長い赴任となった。地元でも市長さん他、多くの方々と知合になる機会を得た。

着任当時は、操業は通常に戻っていたものの、高台に非常用設備を建設中で、まだ震災からの復興工事が続いていた。毎朝、建設関係者の朝礼に役職者が交代で参加していたが、工事の現場に仕事で立ち入ることは初めてだったので、最初は緊張した。

総務課の仕事は、総・経・人に関わる業務で、毎日、会計伝票が沢山回ってきた。また見学者の受け入れを再開したので、最初の年は随分多くの見学者への説明を行い、最後には説明内容をもう暗記するまでになっていた。また、高卒の新入社員の採用も行い、地元の高校周りから始めた。結構毎日、忙しく仕事をしていた。ただ、基地への通勤は会社手配の通勤バスがあり、行きと帰りの時間が決まっているので、殆ど残業もなかった。

高台設備の建設が終わり、試運転も終わると、今度は、実際に原油を地下タンクからタンカーに払い出す、緊急放出訓練が行われた。丁度、10月で今よりちょっと早い頃で、台風シーズンだった。

本来、タンカーをつけたら、一晩かけて原油を払い出し、そのまま、原油を地下タンクにまた戻すことになっていたが、丁度台風がきていて、タンカーに原油を積み込んだところでタンカーは避難して、台風が過ぎてからまた戻って原油の荷上げを行った。訓練としては、払い出し、荷上げを2回に分けて行ったので、着桟作業を2回やることができ、経験値をあげる事ができた。

この緊急放出訓練が終わり、やっと震災から復旧・復興が完了した。いよいよ通常勤務に入る。

従来から、備蓄基地勤務は閑職と見られ、のんびりと仕事ができると考えられていたが、さすがに震災からの復旧・復興工事の間は、本当に忙しかった。

それも終わって、のんびりペースの仕事の流れが始まった。

基地の使命は、国民の財産である原油を安全に保管することであり、何よりも事件・事故がないことであり、安全に関する訓練や監査等のイベントが多かった。その度に門前の独身寮の会議室で懇親会が行われ、年間でだいぶ飲んだなと思う。美味しいお酒と美味しい料理を堪能させていただいた。

それでは、今日はこの位で、また明日。

 

 

 

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ブログ五十四日目、今朝も風が冷たい

今朝も窓を開けたら冷たい風が、顔に当たった。一週間前とは随分と季節が変わって来たものだ。

それでは、昨日の続き、

久慈の基地には、独身・単身用と家族用の二つの社宅が用意されている。当然、単身の私は、単身用の社宅に入るものと考えていたが、いっぱいで入れないと言う。広い家族用に一人で入ることになった。単身用は、1Kのバストイレ付き、共用のトレーニングスペースにサウナ付きのシャワールームもある。随分と贅沢な作りだ。それに対して家族用は、3LDK、80平米。盛岡の自宅マンションよりも広い。元は田んぼ(今も裏は田んぼ)で一階は湿気が多く、特に北側はカビが生えやすい。寒冷地らしく、各部屋にFF式ファンヒーターが設置されている。冬は灯油を相当使いそうだ。単身用は、ボイラーでお湯を沸かしてセントラルヒーテイングしていた。燃料代は会社持ちだった。後にお金をかけて部屋毎の使用メーターをつけた。

広い部屋に一人ぼっちで、部屋をあまらしていたが、娘が盛岡でプラプラしており、また妻と仲が良くなくなっていたので、久慈で暮らせと呼び寄せた。部屋を一つ与えて、暫く一緒に住んでいた。盛岡の通信制高校に通いながら、久慈のスーパーでバイトしていた。食事も作ってくれて私は助かっていた。たまに地元のお店にも連れて行って、結構楽しい暮らしをしていた。5年間は・・・・

それでは、今日はこの位で。

 

 

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ブログ五十三日目、昨日は久しぶりに会社の人と飲んだ

昨日は、1年半ぶりに会社の人と夜、近くのお店で飲んだ。少し飲み過ぎて二日酔いの兆候で頭が重い。

それでは、昨日の続き、

久慈は、NHKの朝の連続TV小説「あまちゃん」のロケ地で全国に知られるようになった。着任時、宿泊したホテルに出演者やスタッフが泊まっていて、朝食時や夜に出演者を見かけることができた。会社の人で最終回にエキストラで出演した人もいた。久慈の秋祭りには「のん」ちゃんが二度も来た。

久慈といえば、海の幸、山の幸、食べ物が美味しい所で、初夏のうに(瓶詰め)、秋の松茸(食べ放題)、冬のいくら・毛蟹。都会では滅多に食べられないものを毎年季節ごとに味わう事ができた。これを目当てに東京からお客さんがいっぱいきた。その度にお相伴に預かり本当にありがたかった。

それでは、仕事のお話、復興工事の二年間は来客・見学の人たちの受け入れを遠慮していたようだが、地上部の工事が完了し、見学者の受け入れも本格化した。そのアテンドも総務課の大きな仕事だ。

震災後、津波が基地を襲う貴重な映像が残っており、これを見学者に見せて、復興工事の状況を説明した。

まず、地下備蓄の基本的な説明すると、地下備蓄は主に北欧の国で行われており、地下の岩盤をくり抜いて、そこに原油を貯蔵する、と言ってもそのままでは、岩盤から染み出してしまうので、水封式と言って地下水の力を利用する。分かりやすく言うと、原油の周りを地下水が囲んで漏れないようにしている。地下岩盤の周りは地下水で満たされており、毎日2千tの地下水が湧き、その湧水を浄化し海に排水するとともに、半分は地下に戻す。このシステムが地上設備で行われる。地上部の1000KLタンクは原油タンクではなく原油を僅かに含んだ湧水が入っている。地上部の油は、ボイラー燃料のA重油のみだ。

こんなことは、石油会社に勤めていても知っている人は、殆どいない。

全国に地下備蓄基地は3箇所あり、日本地下石油備蓄が操業委託を国・JOGMECから受けている。

久慈の他は、愛媛県の菊間、鹿児島県の串木野だ。それぞれ太陽石油、東燃ゼネラル(今はENEOS)が操業している。

日本地下石油備蓄は、石油元売り三社と非鉄金属会社五社の合弁企業で、入社以来初めて他社の人と一緒に仕事をする経験ができて非常によかった。ちなみに社長は、経産省のOBと筆頭株主の太陽石油からの出向者が交互に務めていた。取締役は、総務部長(太陽)三基地の所長(出光、太陽、東燃)、監査役は非鉄会社の出向者が交互に務めていた。後に副所長になって月一回の幹部会に参加するようになって初めて他の会社の人たちと話ができるようになった。いい経験になった。

それでは、今日はこの位にしておこう。

 

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ブログ五十二日目、昨日は寒かった

昨日は、在宅で一日家に居たけど、朝から外は寒かった、急に冷えると出て来るのが、寒暖差アレルギー、鼻から水のような鼻水とクシャミが出る。

在宅勤務だと本当に動かないので、運動不足を感じる。自分の性に合わないと思う。今日は出勤、出勤が楽しみになるとは思はなかった。

では、昨日の続き、

4月異動がなかったので、もしやと思って居たら、7月異動の電話が販売部長からかかってきた。家族と近くなってよかったねと言われた。会社に岩手の転勤先は他にはなく、販売部としての配慮だと思う、しかし久慈と盛岡の距離は100kmはあり、そんなに近くはないのだが、九州よりは近くなった。

転勤先は岩手県久慈市の日本地下石油備蓄だった。2年前の震災時、広島の総務課長だった柴崎さんが久慈の総務課長で着任し、広島の総務関係の引き継ぎをした。その久慈の備蓄基地の総務課長として今度は自分が着任することになった。何ともご縁を感じる転勤だった。柴崎さんはそのまませりあがりで副所長に栄転だった。ここの事務系副所長は総務課長から上がる人が多い。以前、盛岡に居たときの副支店長、佐藤さんもそうだった。今も、ちょくちょく久慈に通っているらしい。

久慈の備蓄基地は、2年前の震災で地上部が皆んな流されて壊滅していた。ただし肝心の原油は、地下に保管されているため、無事だった。

この2年で、地上設備は復旧し、元通りの新品備蓄基地となっていた。

私が着任した時は、高台の自家発等の非常設備を建設し、地下タンクと結ぶ立坑を掘っていた。復旧・復興工事最後の一年だった。

まだまだ、震災の傷跡が残る三陸を目の当たりにした。神戸の震災後の復興とは本当に違う事がわかった。

久慈での長い六年間が始まる、その続きはまた明日。