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ブログ四十五日目、今朝も12時半に目が覚めた

この所、9時前に寝ると気がつくと12時前後に目が覚める。昼間眠くなるのが困る

さて、次の赴任地は、岩手県は盛岡市、初めての東北勤務で、九州生まれの私も妻も初めての経験だ。

東北支店は販売一課と二課に分かれ東北地方を北と南に分けて管轄している。北が一課で南が二課だ。販売一課は元の盛岡支店の後を引き継いでいる。秋田には大手の山二、青森には、小鹿産業を持つ、重要なエリアだ。

当時、販売部次長だった元上司の田中さんの配慮だと思う。有難いことだ。

埼玉アポロを後にする時、送別会では三年間の苦労を思い出して思わず涙が出た。次の盛岡ではどんな試練が待っているやら、と思って赴任した。

四月の着任だったが、盛岡にはまだ雪が残り、最高気温も10℃に届かなかった。今まで金沢、東京、広島、大阪、さいたまと転勤してきたが、ひときわ田舎の雰囲気が強く感じられた。盛岡の人口は30万人ほどだ。岩手県はよく広さは四国に匹敵すると言われるが、実際はもっと小さく、東京、神奈川、埼玉、千葉を一緒にした位とのことだ。そこに120万人程の人が住んでいる。川崎市の人口より少ない。

元々、東北新幹線は盛岡終着だった(赴任時は八戸終着、退任時は新青森)し、秋田新幹線との分岐も盛岡である、北東北の玄関口と言える。広いので県南、県北、三陸、どこに行くのにも遠い。青森、秋田に行くにも2時間かかる。随分と車に乗る時間が長くなった。でも幸い課長になって運転することは減った。2年間の赴任期間だったが、その間、東北大震災には会ったし、いろんな経験をさせてもらった。その話はまた明日。

では、朝散歩に行ってきます。

 

 

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ブログ四十四日目、川崎に戻ってきた

昨日、午後から川崎に戻ってきたが、やっぱり暑い。

盛岡は朝晩は、もう15℃を下回る最低気温を記録し、もはや秋の気配だが、関東地区はまだ残暑が厳しい。

昨日盛岡では、霧雨の降る朝で、その中で散歩、午前中は小型船舶の更新講習、auからUQモバイルへの契約変更、午後の新幹線で帰郷した。

川崎の単身社宅で夕食後、風呂に入って、ビールを飲んでいたら、500ml一本では物足らず、2本目を開けたら、また記憶が無くなっていました。最近、お酒が弱くなった様な気がする。

それでは、埼玉での思い出の続き、

SSでの油外収益がそのSSの黒字化の成否を分ける事になるので、日々目標達成に向け取り組んでいる。

その為のメンバー教育にも力を入れている。

SSTという教育機関に販社グループでは、SSでの油外収益向上研修を委託していた。

研修所の様な所を借りて、階層別に標準作業手順、所謂油外販売の販売手順を暗記し、皆んな同じ手順でお勧めできるようにする。朝から、深夜まで缶詰の研修で、ある意味、秘密の特訓的な研修で終いには精神的に追い詰められる研修で、非日常感が満載の研修だった。研修後は、SSそれぞれに目標が課され、一気に油外収益が上がる、但し暫くすると元に戻るということを繰り返していた。カンフル剤としての効果は随分あったが、今はどうなっているのだろうか、研修費も百万単位で掛かっていたと思うので今は続けられなくなっていると思う。

今では販売子会社の組織も変わっており、昔の仲間もいろんなところで活躍している人もいれば、不正で会社をやめた人間もいる、都合で辞めた人間もいるのは、寂しい限りだ。

そんなこんなで、埼玉アポロの三年間がすぎて、次の転勤が発表された。東北支店の販売一課だった。東北の北三県を担当する事になった。

それではそのお話はまた明日。

 

 

 

 

 

 

 

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ブログ四十三日目、昨日は大沢誉志幸のライブに行ってきました

昨日は、1円iPhoneを買いに行って、夜は妻と大沢誉志幸のライブに行ってきた。

家から歩いて5分位のカフェバーで客数は20人弱のライブだった。大沢誉志幸と言えば、会社入ったばかりの頃、流行っていた。メジャーデビュー40周年らしい。デビュー前から楽曲を他のアーティストに提供していて印税がしっかり入ってきていた様だ。

自身の代表曲は「そして僕は途方に暮れる」、35年前の曲で、今まで33人のアーティストがカバーしているそうで、その度印税が入ってくるので、印税生活を送っているそうだ。

だから、観客の多いライブはやらなくて、コロナ禍でもこじんまりとしたライブを続けているらしい。

オリジナルの「そして僕は途方に暮れる」を生で聞けて、久しぶりに感動した。

ライブの後は妻と近くの料理屋で食事したが、冷酒を二杯飲んだら今朝は少し頭が重い。

今日は、小型船舶免許の講習会に出て、またコジマに行ってauからUQモバイルに変更してもらって、13時50分の新幹線で帰る。充実した週末だった。

それでは、今日はこれ位にして、朝散歩に行ってきます。

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ブログ四十二日目、昨日から盛岡帰省

昨日から、盛岡帰省中、こちらでしかできないことをやって家族との会話、交流を図る。

今日の予定は、携帯電話を替えにコジマに行き、夜は妻と大沢誉志幸のライブに行く、明日は小型船舶免許の更新講習に行き、またコジマに行って13時50分発の新幹線で川崎に帰る予定。

さて今日のお話は、

弁護士先生のお話、最初は弁護士なんて話もしたこと無いし、なんか不安な気持ちで相談していた、案の定、相談内容、どうしたいのかこちらの意思がはっきりしないので、よく先生に怒られた。何せ毎月の様に相談する事件が起こるので、初めの頃は、浦和の弁護士事務所に行くのがいやだった。ある時、SSのマネジャーを一緒に連れて行ったら、先生の質問口調が非常に優しくなり、私も横で聞いていて非常に楽なので、それからは、トラブル対象SSのマネジャーを連れて行くようにした。最後には、弁護士事務所通いが苦にならなくなった。

本当にお世話になった。それ以来、弁護士にお世話になることは発生していない。

もう一つ弁護士案件を書いておく。

あるSSで車が放置された事件、ある日ある時、ある人間が当該SSにオイル交換か、車検か何かで車をSSに預けて行ったのだが、本人との連絡が取れなくなった。どうやら警察に捕まって刑務所に入っているらしい。何度か連絡を取ったが、車を取りに来る気配はなく相当月日が立っていたらしい。SSでは場所は取るし、撤去しようにも他人の物を勝手に処分することはできずに困っていた。これも弁護士先生にお願いし、車の処分・撤去をお願いした。一度若い先生と同行し、現地を確認した。裁判所に競売申請をして係官が現地に現物を見にきた、曰く、幾らかの価格をつけるので落札して欲しい。その後は、勝手に処分しても構わない。こうして、不法に置き去りにされていた車の処分も完了した。

それでは、今日はこの位にして朝散歩に行ってきます。

 

 

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ブログ四十一日目、昨日の地震は凄かった

昨日は、本社で打ち合わせ後、ビール・ワインをご馳走になって10時頃には、気を失って寝床につきました。

いきなり、酷い揺れで起こされたと思ったら、自分でも寝ぼけているのかと思うほど、夢の中の様な気分だった。

朝起きてから、部屋の中を見るといろんなものが散乱していました。

夜中に安否確認のメールが来たが、安否を回答する質問が出てこないので、後で安否確認の機能がなくて意味しないのに気がついた。平松くんから電話が掛かってきたので、発信し直して貰えばよかったが、改めて朝6時頃、自分で確認メールを発信しようと思った、自分で操作するのは初めてでなんとも発信までに時間がかかってしまった。

6時20分頃発信して全員の確認ができたのが、9時過ぎで最後の一人は、休暇の様で、会社の携帯は繋がらず、私用の携帯でも繋がらなかった。

休暇中は会社の携帯に出ない社員が多く、時代が変わってきたものだ。休暇時の緊急連絡がつく仕組みを考える必要があると思った。

今朝は、地震対応であたふたして、帰省の新幹線に間に合わず一本遅らせる事になった、また小型船舶免許更新のための講習があるのに、免許証を忘れてしまった。

盛岡でマンションの抵当権抹消の申請を出したついでにコジマ電気でスマホを見ていたら声をかけられ、iPhone seを1円で勧められた。明日、早速、切り替えに行こうと思う。

今日は色々あったので、思い出話はやめておこう。

ではまた明日。

 

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ブログ四十日目、昨日は、パワハラ審査

昨日は社長以下でパワハラ案件の事実認定の審査

仕事を教える側と教えられる側の関係は、人間関係や相性に影響されることが多いと思う。教える側が思い通りにならないとイライラが表面や言動に現れるものだ。特に女性の場合、一度こじれると修復が非常に難しい。また当社の様に定期異動がない会社は事後の対応にも苦慮する事になる。

来週以降に結果を本人たちに通知することになるが、双方納得するのは難しい事だと思う。

それでは、今日の話題は、

当時の我が社のSSでの女性社員は2名、まあガソリンスタンドの会社に就職する人間は当時は少なかった。ただし、SSにアルバイトにくる女性(特に学生)は結構いた。

当然、男女間の揉め事も発生する。

ある時、社長あてに怪文書というか、ある人物を告発する手紙が届いた。あるSSのサブマネのAさんは、アルバイトの高校生Bさんと付き合っている。SSで責任ある立場の人間が未成年と付き合っていいのでしょうか。という事だが、個人的な問題を会社に聞いてくるなと言いたかったが、ともかく事実関係を確認しにAさんに話を聞いた。どうやら事実のようで、手紙を送った人間も大体わかっている様だ、まあ簡単に言えば三角関係のもつれの結果の様なものだった。関係者でよく話してくれと頼んでその場を離れた。

このAさんに関しては、販売は優秀なんだが、女性関係は色々あるようで、モテたんだなと思う。ある時、内容郵便が会社に届いた、内容は、Aさんの給料を差し押さえるという事だった。送り主は、Aさんの元の奥さんで子供の養育費が滞っている為、給料を差し押さえる手段に出たとのことだった。また本人に事情を聞きに行ったところ、離婚当初のとり決めで月一回は子供に合わせるという約束も今は破られており、こちらも養育費を払いたくないとのことだった。子供に会う権利は保証されているのだから、もっと主張すれば良いが、養育費はちゃんと払えと指導し、給料からその元妻に送金するとり決めとした。

暫くは、これで決着と思っていたが、突然Aさんがいなくなり、違った結末を迎得ることとなった。

結婚するのは簡単だが、離婚するのは色々な問題があり大変だなとしみじみ思った。

SSでの男女間の問題は、通常の会社より多かった様に思う。

それでは、今日はこの位にして朝散歩に行ってきます。

 

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ブログ三十九日目、また早く起きてしまった

昨日も、20時位に寝入ったら0時半位に目が覚めた。

YouTube見てたら、いつの間にか2時過ぎてそのままブログ書いている。

それでは、今日の話題は、

SSとお金の問題、SSの支払いは昔は掛売り、個人でも付け払いが存在した。流石に今では法人向けに掛売りが一部存在すると思うが、今では殆どがカード払いか、現金だ。

SS業界では逸早くクレジットを導入し専用カードから提携カードが導入された。そして掛売り、現金からの切り替えを推奨していた。

ただ、量販店、特に大量に販売しているセルフSSほどまだ現金の売上金額は大きい。一時期全国一の販売を誇っていた某SSは一日の現金売上が5百万円ほどあり、その集計を毎日メンバーが行って入金機に入れていた。

ある時、SSの事務所に入ると大量の千円札が机の上に置かれて、メンバーが数えている時に遭遇した。

毎日、数百万円の紙幣を数えていると現金という感覚がなくなってくるという。そりゃあ毎回ドキドキしていては体によくない。

ある時、そのSS所長から売上金額が80万円ほど合わないと連絡が会った。エリマネと現場に向かい、再度売上と現金を確認し差額を確認した。現金チェックしたタイミングを確認して、それから事務所内の監視カメラを確認した。

SS内でその間のビデオ映像を確認した。見ていると途中でビデオを止めた人間がいた。当然、なぜ映像を止めたのか聞く事になる。本人は事務所で携帯をいじっていたので見られたくなかったとのことだが、なぜそうしたのか解せなかった。

何度も尋問し確認したが、知らないの一点ばりだった。

彼が盗んだというはっきりした証拠はなかった。ただし彼がビデオを止めたため、その間の事務所の様子がわからず、盗難の現場が確認できなくなったのは事実だった。

結局、彼には依願退職してもらった。退職金を現金で払い、80万円を現金で補填してもらった。

何とも後味の悪い結末の事件だったが、誰かが損害を埋めなければならなかった。

このようにSSは多くの現金を扱うところであり、定期的にSSに行くとその度に現金を数えていた。

私が着任する随分前に後払いのセルフSSで、夜間バイトのメンバーが現金を持ち逃げしたことがあったそうだ。その状況が監視カメラの映像に残っていたそうだ。警察に夜間バイトが一人で勤務しているのに、目の前に現金があるというのは取ってくれと言っているようなものだと言われたそうだ。

人は、弱いもので、お金が欲しくて目の前に現金があると自然と手が出てしまうものだということだ。これを小売統括グループでは、人間性弱説と言っていた。

埼玉勤務期間中で一番大きな現金不付合い事件だった。

さっき、東北地方で大きな地震があったようだ、最大震度5弱の地震が盛岡で記録されたらしい。東北大震災を思い出した、あの時は、大きな地震があるたびに停電したのが困り物だった。今は停電していないらしい。震源地は三陸沖だったが沿岸地区に津波はないようだ。それは幸いだ。

やっぱり、東北には地震がつきものの様だ。いつまで経っても安心できない。こんなところによくも原発をいくつも作っていたものだと思う。

それでは、今日はこのくらいにする。

 

 

 

 

 

 

 

 

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ブログ三十八日目、10月と言うのに真夏日

昨日は、在宅勤務で自宅だったが、外は30℃近い暑さで、10月と言うのにまだまだ暑い日は続きそうだ。

さて、今日はどんな話を書こうか。

消防から連絡があり、SSから廃油が流れていると言う。

どうしたのかとあるSSへ行くと、SSの下流域の住民から小川から油のような臭い匂いがすると消防に連絡が会ったとのこと。消防がその小川を遡ると排水溝があり、そこをたどるとウチのSSにたどり着いた。消防は油回収マットで廃油らしきものを回収して当社へ確認にきた。発生源はウチのSSの油水分離層でそこから汚泥が溢れ出したようだ。というよりは、排水口のL字配管が脱落して直接、汚泥が外に出てしまったようだ。

油水分離層はSS内の油分を油水分離して水分だけ雨水として排水する設備だ。構造は簡単で、油は水より軽いので浮くという原理を利用して、いくつかのマスの下から水を次のマスに水を流す。その配管が外れていて前のマスからそのままマスの外に水が流れた様だ。

油水分離層は定期的に清掃している。清掃業者はL字配管が外れていたことを知っていてSSメンバーに知らせていたということだが、誰も知らなかった。あまりみんなこの自体を大きなことと思ってなかったみたいだ。その日の夕方に油水分離層の汚泥を吸い取り、清掃してL字配管を元に戻してその日は解散した。

その日の夜から翌日午前中にかけてすごい豪雨がとなった。その間、社長以下、私とエリマネの四人で対策会議をしていた。手分けして消防署、市役所、県事務所等へ訪問する事になった。

雨が降り止んで、現場を確認すると油分どころか、油吸着マットも跡形もなく流されていた。文字通り、雨で水に流されていた。消防署でも油水分離層のL字配管が外れていたことが原因だと説明、清掃業者が作業中に外れたと業者の責任として説明した。消防から特にお咎めはなく、消防に油吸着マットを返して一件終了した。関係の役所へ自体を報告したが、特に咎められることはなかった。雨水の排水を小川ではなく下水に流す様に住民から依頼が会ったが、設備投資は出光の役割なので、自体を報告して、その旨依頼したが、その後どうなったであろうか。

この件は、豪雨のお陰で事なきを得た貴重な経験だった。

それでは、今日はこれ位にしておく。

 

 

 

 

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ブログ三十七日目、SUP漕いできました

昨日は、土曜に続いて晴天、SUP日和だったので、多摩川を六郷橋から多摩川大橋まで漕いできた。行きは調子良く進んだが、帰りは向かい風と満ち潮による波が立ち、抵抗が強くて少し疲れた。

それでは、今日のお話は、

お客さんとのトラブル、三郷のSSで、路上看板を出していたが少し歩道にはみ出していた。あるお爺さんが自転車で歩道を走っていると前に看板があるので避けようと車道に出ると車に煽られ、転倒した。それを見たSSの所長が、助けて病院に連れて行った。

初診の費用は、こちらで負担したが、以降の費用は、そちらで負担して欲しいと相手に伝えた。しばらく文句をいっていたが、無視していた所、そのお爺さんの姉と名乗る女性から電話が掛かってきた。近藤エリマネが電話対応したが、実はそのお爺さんは自殺をして、その遺書に三郷SSの所長への恨み辛みが書いて会ったそうで、そのクレームを延々と電話で伝えられた。長時間の電話で仕事にならないので、また弁護士さんにお願いした。弁護士さんにも長時間のクレーム電話をかけてきてそれを録音で聞かされた。お爺さんの自殺にはうちのSS所長に責任がないのは明白であり、もっと言えば、もともと自転車は歩道を走ってはならないのであって、看板がはみ出していようとそのこととお爺さんが転倒したことは関係ない。

この件は、その後、おばあさんからの電話はなく、訴訟にもならなかったが、人が自殺して死んだと事実が衝撃的だった。

それでは、今日はこの位にして朝散歩に行ってきます。

 

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ブログ三十六日目、昨日は飲んだ

昨日は、朝から散歩10㎞、風呂入って、掃除、サイクリング20㎞、いつものサウナ、帰って家飲み、白ワイン半分で撃沈、目が覚めたら19時だった。そのままベットに寝てたら、2時半だった。

いつもながら、サウナ後はよく眠れる。今朝は少し頭が重いが、水分不足になっていると思う、サウナ後の飲みは水分補給が欠かせない。

では、今日も行ってみよう。

SSという所は、世間のあらゆる階層の人たちが集まる所である。そこで働いている人達も必ずしも上等な人ばかりとは言えない。また、現金を扱う商売なので、それの関わるトラブルも多い、メンバーの女性関係のトラブルも多く、ヤクザ関係のトラブルもあった。それについては次に書く。

着任後、いよいよ3面記事の生活が始まった。

埼玉アポロの本社は、埼玉中央SSの後ろにある研修センターの二階にあり、社長以下、統括部長の私、エリアマネジャーの二人、経理課長と課員が二人、営業課の三人の計10人だった。

まずは、36箇所あったSSを回ることから始まった。

当然、車がないと困るので、前任者は部長車を与えられていた。それを引き継ぐものと思っていたが、社長車のアリストを返すことになったので、社長と車を兼用することになった。ちょっとあてが外れたがしょうがない。

SSでのトラブル対応は、エリマネと私の仕事で、ほぼ毎月、弁護士さんの所へ行っていた。

まずは、ヤクザが洗車に来た話。

ある日、狭山のSSに見るからに怖いおじさんがSSに洗車にきた。近くのファミレスで食事してくるとおじさんはSSを離れた。洗車後、車はSSに置いていたが、暫くして他の人がその車を取りに来た。アルバイトが洗車代をもらい車を引き渡した。

その後、さっきの怖いおじさんが車を取りに戻ってきた。

おじさんは、車はどうした、人にとりに頼んだことはない。と言い。それで車の盗難がSSで起こった事が分かった。

すぐに電話で呼ばれ、現地に急行し対応に当たった。

怖いおじさんの話では、車には合計5百万円相当の時計が積んであり、それは関西の暴力団から借りたもので、それを担保に群馬の暴力団に金を借りにいく途中だという事だった。

すぐに警察に行って、刑事さんと話をした。SSでの洗車にまつわる盗難、詐欺事件は、関西で話には聞いていたが、本当に自分が遭遇するとは思はなかった。

そうこうしているうちに、三日後、その車が見つかった。なんと車を受け渡したアルバイトがパチンコ屋の二階の駐車場で見つけてきた。

当然、積んでいたという高級時計は見当たらない。どうにも話ができ過ぎているので、警察と相談しアルバイトに事情聴取をお願いした。だが結局、何もわからなかった。

怖いおじさんとの示談交渉は顧問弁護士の山本先生にお願いした、この先生は民暴の鷹という漫画の主人公のモデルと言われている人で、暴力団関係の事件には強いという評判だった。この先生の仲介で、我が社は示談金として50万円を支払い社長が謝罪する事で決着した。弁護士事務所へ社長と経理課長が現金50万円を持っていき、おじさんに社長が頭を下げた。

これで事件は決着と思いきやそうではなかった、盗難に会い戻ってきた車は借り物でその車の持ち主が、車を傷つけられたと言いがかりをつけてきた。これは弁護士さんに対応をお願いしたが、相手側の言い草に先生も頭にきて、訴訟を起こす事になった。

私としても初めての裁判となった。一度公判にも立ち会った。相手側の証人は怖いおじさん、こちら側の証人は狭山SSのサブマネだった。サブマネも裁判所で証言するのは初めてで緊張していたが、裁判長は安心するように優しく声をかけていた。

こちらの先生が、証人の怖いおじさんにいきなり「あなたは反社会的組織の人間ですね」と言ったのは驚いた。

結局、裁判の結果は、こちらの勝訴で終わった。

初めてのヤクザとのトラブル、裁判も経験した。

それでは、今日はこれ位にして、散歩に行ってきます。