昨日は、娘が盛岡から帰ってきて、夕食食べさせろとLINEが入り、待ち合わせの約束、ところが、携帯無くしたとLINE電話が入り、交番いけと指示した。
今時は、iPhone無くしてもipadでiphoneの居場所がわかると言うことで、交番からビルのお客様センターに電話してもらって、なんとか携帯は手元に戻ってきたらしい。今は便利な機能があっていいな。俺もandoroidからiphoneに替えようかな。
では、今日も大学時代にタイムスリップ!
バイクの為にバイトを始め、それからはあまりお金に苦労はしなかった。食べ物もバイト先の賄いで食べられるので、特にひもじい想いはした事がない。
街中のラーメン屋さんの時は、店長が面白い人で、人間関係がよくて結構楽しめた。バイトを紹介しろという同期を入れたりして知り合いも多くなった。深夜労働と言うのが玉に傷で、翌日一限目が授業の時は敬遠した。それと豚骨ラーメン特有のあの匂いが体に染みつくので、仕事が終わってそのまま布団には入りたくない。下宿の簡易シャワーを浴びて寝た。一年くらいして、本店で人が足りないので、移ってくれないかと依頼された。こちらは営業時間が10時から9時までなので、いつも平日は、6時から9時まで、週末は朝から晩までバイトできる。夕食も食べれる。こちらの店の出前は、一般家庭も多く、宮崎美子さんの実家にも出前した、県立病院の手術室にも出前したこともある。
一日の出前のピークは正午過ぎと、夕飯時、配達が集中する。配達が終わると器を下げに回る、下げた器を洗って一息つき食事にありつける。
ここにも、知り合いや後輩(中学時代の後輩に再会した)を紹介して楽しくやっていた。仕事終わりにファミレスに連れてもらったりもした。
また、鶴屋百貨店の一階の鈴屋という女性服専門店で2年間バイトした。商品の出し入れや、値札タグ付け等の作業をした。このバイトも結構面白くて、友達も入れて楽しくやっていた。正月の仕事は、お雑煮作りだったのを覚えている。
あと、倉庫でタバコの葉を乾燥させるため年末に保管して、年初に積み出すバイトも二年に渡ってやった。初めは、タバコの袋を担ぐと肩が擦れて痛くなったが慣れてくると要領がわかってくるし、肉体労働で、昼飯がうまく感じた。結構給料もよく、稼げたと思う。
大学時代、バイトでいくら稼いだろう、バイク5台分、百万円以上は軽く稼いだろうか。
結構、人間関係が良いとこらが多くて幸いだった、店長にも可愛がられて、何度か家にも招待したもらった。いい思い出になっている。あの人たちは今どうしたいるだろう。
それでは、今朝はこれくらいにして朝散歩に行ってきます。