今朝もアキレス腱痛でジョギングはお休み
一週間様子を見て病院へ行こう。
昨日は、仕事の帰りにサウナに寄って、軽くビールと日本酒、いつもよりぐっすり眠れたかも。平日サウナの習慣も取り入れてみよう。
さあ今日は、弟の話を書こう。
弟は、私の三学年下、昭和40年生まれ。小さい頃は可愛かったので、みんなに可愛がられていて羨ましかった。私の早生れに対して10月生まれなので、知能の発達もそれ相応によく賢そうだったのも羨ましかった。結構恵まれて育ったのがその後の人生に影響したのかもしれない。
小さい頃は、順調に育っており、地元の小学校、中学校を出て高校は工業高専を出た。ラグビー部だったので、モテていたようだ。就職口も悪くなかったようだが、大手にはいかず、友達と一緒に大分の名も無い中小企業に就職した。案の定、経営が思わしくなく数年で退職、東京に出た。その頃は、バブル期で若い男一人だったら、暮らすのに苦労はなく、返ってバイトを掛け持ちして羽振りはよかったようだ。月収が手取りで50万あったこともあったようだ。それだけあれば生活も豪勢になる。新橋の老舗焼肉屋徳寿のホール係をしていたようだが、その時、運悪く狂牛病が流行り出した。焼肉屋は敬遠され経営は苦しく、給料の遅配があったようだ。生活レベルも上がっており、資金繰りも厳しくなり、カードローンからサラ金、果ては闇金に手を出し、首が回らなくなった。母に泣きつき、借金を払って貰うことになったが、母から私に金を預けるので払って欲しいとのことだった。当時、大阪から新幹線で東京に行って、弟と闇金周りをした。最初は錦糸町の業者で事務所を構えていた。店長らしき人が、お兄さんがわざわざはらいにきてくれたので、二度と借金に手を出すなとマトモなことを行って、少し利子分を負けてくれたのはびっくりした。一緒に完済済書をくれた。次は渋谷だったと思う。マンションの一室が事務所になっていた。中には二人いたが、一人はいかにもヤクザらしい人間だった。支払いをして完済済書を出してくれと頼んだら、拒否された。証拠らしきものが残るのが嫌だったのか、話をしようとすると弟が揉めたくないと止めるので、そのまま帰った。次は渋谷パルコ前で待ち合わせ(スカウトらしき人間がひっきりなしに若い女性に声をかけていた)、無店舗の闇金で電話をすると受け子みたいな人間がお金を持ってくるらしい。百貨店の階段でお金をわたし、受け子はメモ帳の切れ端に確かに受領しましたと記入し、渡してくれた。最後は、サラ金等の整理のために、弁護士事務所へ、今でこそ、過払金請求のコマーシャルがTVで一般的に流れているが、その時はまだあまり知られていなかった。普通のサラ金は弁護士が入ると大人しくなるらしいが、闇金はそうも行かないらしく、会社や親族にも迷惑がかかるので何とか返済したほうが良いということだったので、今回の返済となった。サラ金への残債は2百万円位あるようだが法的整理、最終免責ではなく、任意整理したいとのことだった。弟ながら借りたものはちゃんと返したいといい、大したモノだ、と思ったが、後にそうでもないような事がわかった。一通り、関係先を回ったあと、夕食を食べようということになり、特寿の関係の居酒屋に行くことになった。借金背負った人間に奢らせるわけにはいかないと思ったが、弟がどうしてもご馳走させてくれといって譲らないので、お言葉に甘えることにした。あっという間に最終の新幹線に間に合わなくなったので、弟の家に泊まることにした。家は三軒茶屋にあった、結構便利なところにあり、友達が借りていたところをそのまま借りているようだが、借主はそのままのようでその後、追い出されることとなる。なんと小型犬を飼っていたのは驚きだった。当然無許可である。翌日は朝始発で帰って、そのまま会社に出社した。初めて闇金と言うものを知った、良い経験になったが自分はそんな目に会いたくはないと思った。弟の借金はこれからしばらく続くことになり、それが母の悩みの種となったようだが、その事は私には知らされなかった。
だいぶ長くなったので、前編はこの辺で、明日後編を書きます。
では、今朝もお風呂に行ってきます。