昨日は、在宅で一日家に居たけど、朝から外は寒かった、急に冷えると出て来るのが、寒暖差アレルギー、鼻から水のような鼻水とクシャミが出る。
在宅勤務だと本当に動かないので、運動不足を感じる。自分の性に合わないと思う。今日は出勤、出勤が楽しみになるとは思はなかった。
では、昨日の続き、
4月異動がなかったので、もしやと思って居たら、7月異動の電話が販売部長からかかってきた。家族と近くなってよかったねと言われた。会社に岩手の転勤先は他にはなく、販売部としての配慮だと思う、しかし久慈と盛岡の距離は100kmはあり、そんなに近くはないのだが、九州よりは近くなった。
転勤先は岩手県久慈市の日本地下石油備蓄だった。2年前の震災時、広島の総務課長だった柴崎さんが久慈の総務課長で着任し、広島の総務関係の引き継ぎをした。その久慈の備蓄基地の総務課長として今度は自分が着任することになった。何ともご縁を感じる転勤だった。柴崎さんはそのまませりあがりで副所長に栄転だった。ここの事務系副所長は総務課長から上がる人が多い。以前、盛岡に居たときの副支店長、佐藤さんもそうだった。今も、ちょくちょく久慈に通っているらしい。
久慈の備蓄基地は、2年前の震災で地上部が皆んな流されて壊滅していた。ただし肝心の原油は、地下に保管されているため、無事だった。
この2年で、地上設備は復旧し、元通りの新品備蓄基地となっていた。
私が着任した時は、高台の自家発等の非常設備を建設し、地下タンクと結ぶ立坑を掘っていた。復旧・復興工事最後の一年だった。
まだまだ、震災の傷跡が残る三陸を目の当たりにした。神戸の震災後の復興とは本当に違う事がわかった。
久慈での長い六年間が始まる、その続きはまた明日。