今朝は、気温15℃、前回帰省した盛岡並みの気温、最高気温も20℃に届かない見込み、やっと季節相応の気温になってきた、というよりは、いきなり冬に突入するんじゃないかと心配だ。
昨日の日曜は、朝の散歩は横浜方面に子安まで行って帰って13km、少し長めの散歩だった。午前中にトイレ掃除を済ませて、お昼に大好きなサウナへ、高温、低温サウナを交互に入って、水風呂と椅子で休憩を繰り返し3回入る。今流行りの整った感覚がたまらない。いろんな風呂を全部入って身体を洗ってから上がる。風呂上がりのビールは欠かせない。枝豆をつまみにスーパードライを一気に流し込み、今日はハイボールを追加し、最後は八海山でしめる。しっかりよっぱらいちょっと休憩ののち、またサウナと風呂で15時半位にサウナを出た。帰ってきて、昨日の残りの赤ワインを半分飲んだら、また気を失っていた。目が覚めたら19時頃だった。寝てた間に録画した大河ドラマを見て、目がさえて来たので、今度はウイスキーをストレイト、ロック、ハイボールで飲んで、22時に寝た。サウナに入ると本当によく眠れる。
さっき起きたのは2時半だ。
それでは昨日の続き。
広島での職務は、西日本オフィサポートマネジャーという役職だ。統括支店体制がなくなり、総務課が無くなったものだから、販売部の人事的な担当窓口として臨時に設置された。
担当は、中四国、九州の営業所で拠点は、広島、担当は、高松、福岡、鹿児島に至る。担当店には月一度は顔を出すようにした。まず人を知る事が仕事だった。その他は決まった仕事はあまりない。
家族は、娘が中学2年生、息子は小学校に転入した。娘は新設の中学に転入したが、馴染めなかったようだ、暫くして学校に行きたくないと言い出した。所謂、登校拒否の状態だ。盛岡のような田舎と違って広島は言葉もそうだが荒っぽいところがある、息子もあまり面白くなかったようだ。
娘は精神のバランスを壊していたようで、精神科へ保護入院させた。暫く様子を見て退院させたが、広島には居たくないようだ。色々考えた末、盛岡に返すのが良いと思って、会社の上司と相談した。盛岡の前居たマンションの一室が丁度売り出されていたのでそれを買った。私は、便利の良い福岡に転勤させてもらい、単身赴任の生活が始まった。
娘は、盛岡に帰ってから一度は落ち着いた。
二度目の広島は6ヶ月の短い滞在だったがあまり良いことはなかった。
福岡の単身生活は、よく言う、札チョン、博チョンで単身には最高な所だった。社宅は博多駅前の会社から5分のマンションでどこへ行くにも近い最高のロケーションだった。
担当エリアは、福岡と鹿児島で鹿児島には月一回通っていた。
営業所体制は上司は居ないし、所長さんも私も気楽に仕事ができた。1年半という本当に短い間の勤務でもう少し長くいたかった。マラソンからトライアスロン、ダイビングも資格をとり、いろんなことにチャレンジした。充実した単身生活だった。
そうこうしているうちに、盛岡では娘が高校受験に失敗し、私立の学校に入学した、その後、痴漢のような者に会ってまた学校に行かなくなった。そのまま学校は退学した。
妻から帰ってきて欲しいと言われたが、そうそう福岡から帰ってこられるわけがない。上司に相談すると次の年の7月に転勤の辞令が出た。
その話はまた明日。