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ブログ二十七日目、盛岡にて

昨日から、盛岡に帰省中、昨晩は、スパークリングワイン1本、かん酎ハイ1本飲んで、撃沈、朝起きたのは5時半、久しぶりに良く寝た。二日酔いもない。

それでは、昨日の続き、

本社の仕事も一人前になり、結婚して家庭を持ち、公私共に充実してきてそろそろ転勤かと思っていると、転勤の内示があった。転勤先は、広島支店。

広島には、C重油の需要家もたくさんあったので、担当の小野さんともよく話す機会があって、馴染みのある支店だった。

当時の支店は街中の八丁堀という所にあった。支店の人が入っている宇品の社宅は空いていないようで、東区の借り上げ社宅に入った。これはこれで寂しかったが、まあ人間関係のしがらみが無くてよかった。

仕事は、前任者から引き継いだ中国電力とA重油の油担だった。中国電力はハイサルファーのC重油をまだ使っている数少ない電力で、ローサルファーの原油(大慶原油)も使っていた。C重油は、前月末までに価格提示を行い、安い方から発注する。合理的でわかりやすい買い方だが、こっちは、オーダーを確保するために安売りしなければならない。広島が地元のマツダといい、買い方の厳しい需要家が多かった。

広島で初めて後輩ができた。相馬くんといい、今どこにいるのだろう。しばらく会ってない。自分は30歳すぎてもう中堅社員の域に達していた。

子供もできないし、そろそろ資産形成のために、家を買おうと思った。先輩から広島は土地が少ないし地価はあまり下がらないと言われたが、後に土地神話は崩れてどんどん地価は下がっていった。まあ読みが甘かった。

郊外の安佐北区に先輩が住んで居たので、その近くの物件も回っていた。不動産のチラシを見て不動産屋に休みのたびに中古物件を見せてもらった。広島の土地がわかり結構楽しかった。

やはり、マンションより土地付きの一戸建てが欲しかった。自ずと場所は郊外になり、安佐北区や安佐南区になった。

安佐北区に築浅で良さげな中古住宅があったが3000万円と少し自分には手が出なかった、注文住宅で、二階建て3LDKの作りは気に入っていた。立てた時の費用は4000万円超えていたらしい。

2500万円なら買うと不動産屋に言っていたら、売主からそれでいいと連絡が入ったらしい。売主は、近くにご両親と住む二世帯住宅を建てていた。損金はご両親が負担するとのことだった。

安佐北区の田舎だが、自然豊かで静かなところに、庭付きの一戸建てをもつことができた。あとは家族が増えることを待つだけだったが、その話はまた明日。

それでは今日はここまで。

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