一昨日ぐらいから、最高気温が20℃近辺、最低気温が15℃位と、先日の盛岡並に下がって来ました。いつの間にかもう秋も深まり、気が付かないうちに冬になりそうです。
昨日は、パワハラ問題のもう一人の相手方へ調査結果を通知、今回はパワハラの認定はしなかったものの、人間関係、コミュニケーション不順の状態は、甚だしいものがあると痛感した。何かいい方法がないかと模索しているが、効果的な方法が見つからない。地道に少しずつ気付いた事から変えていくことが大切だと思った。
それでは、盛岡の最終章、
二月に異動の発表があった、すでに統括支店がなくなり、営業所体制となることは決まっていた。本社直轄体制となる。
三月に入り、支店の送別ゴルフが終われば、販売店さんに挨拶をして転勤だと思っていたらあの地震だ。その時は、高速道路を秋田に向かって走っており、地震と思ったら、道の端の雪が崩れ出した。大分大きな地震、それも非常に長いと思ったが、そのまま走っていた。秋田道に入り、標識はしきりに一般道に出ることを指示してくるが、行けるところまで行こうと思った。結局秋田まで高速道を走って一般道に出たら停電で信号は止まり、お巡りさんが交通整理をしていた。目的地まで何とか辿り着き、御焼香(山二の部長さんの親族の葬儀に行ったのだった)を済ませると、一般道で盛岡に帰った。当然のごとく停電で信号も止まり、道の周りは真っ暗で何も見えない。兎に角、早く帰りたいと思い、信号の止まった一般道を飛ばしていった。横から出てくる車がなくて助かった。いつもは2時間近くかかる道のりが1時間ちょっとで帰りついた。盛岡の街中も真っ暗で、マンションのエレベーターも止まっていた。丁度、息子がインフルエンザで高熱を出していて、家族は岩手医科大学の外来に行って留守だった、地震で家の中は結構散らかっており、手探りで移動した。ガラスなどを踏まなくてよかった。しばらくして家族が戻ってきて全員の無事を確認した。盛岡では地震の揺れは大きかったが(震度6弱)被害は殆どなかった、停電のため他の地区の状況は全く入らず、その夜はそのまま休んだ。それから暫く地震後の対応が始まる。その内容はまた明日。