この週末は、雨と共に寒波が南下し都会でも本格的に秋が深まって来るようだ
さて、地震発生後の続き、
私は、地震発生時、高速道路を運転中だったことは書いたが、すぐに事務所へ連絡し、部下へ販売店さんの無事と被害の状況を確認させた。地震の発生は、3時前だったので、まだ明るく、停電しても電話はかけられた。殆どの販売店さんに連絡が取れたが、三陸沿岸のお店には全く電話がつながらない。当時は丁度、主要な販売店店主は支店長と出光会の旅行で沖縄に行っており、仙台空港に帰って来るときに地震と遭遇した、津波が滑走路に押し寄せ、飛行機は那覇に引き返して行った。沖縄にいる販売店主とは連絡がついた、支店長は、すぐに関空に飛んで、大阪の親戚経由で横浜の自宅に戻り、そこから自分の車を運転して仙台に帰ってきた。すごい行動力だ。地震の翌々日には仙台に戻って来ていた。
三陸の販売店さんへは翌日も電話したが一向に繋がらない、津波が押し寄せたことは知ったが、全く現地の情報が入らない。まさかあのような状況とは夢にも思わなかった。
翌日の夜には、盛岡の市内の電気は復旧した。TVを点けても同じコマーシャルばかりで現地の状況は伝えられなかった。当時、盛岡の販売一課では、NO2の高浜君が新任役職者研修で東京、若手の安念君が千葉の姉ヶ崎に研修中、同期の長谷川君がお父さんの不幸で帰郷中で三人がいなかった。残ったのは私と三人の部下と全農担当の先輩の五人。
高浜君は帰りの新幹線で被災し、新幹線が止まり途中で降ろされたそうだ。近くの避難所で一夜を過ごしたらしい。翌日仙台に向かった。安念君は内房線で被災し丁度目の前でコスモ石油の爆発を目にしたそうだ。そのまま姉ヶ崎に引き返して中央訓練所に泊まったそうだ。
一応、部下の安全は確認できた。それからの救援活動については、また明日。