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ブログ四十七日目、今朝も2時前にベッドをでた

昨日も、午前午後とTeams会議と研修で殆どの時間を取られた。今週は、何とも慌ただしい週となりそうだ。

在宅勤務を週二日していると、週三日の出勤で伝票チェックやらの出社しなくてはできない仕事を出社時集中してやるので、Teams等の会議、研修がとても煩わしく感じる。これらのものは、在宅勤務中に限る、というか早く捺印、承認業務を全て電子化したい。

さて、今日は盛岡勤務の2年目のお話、1年間は祭りやゴルフ、お酒のお付き合い等、仕事以外(いやそれが仕事か)で忙しくあっという間に過ぎてしまった。出光には子会社とちがって本当に優秀な部下がそれも二人(この二人を役職にする事が私のミッションだった)いて、課長は仕事は任せて、祭りやゴルフに勤しむことができた。

まだ、さいたまにいた頃、月一回の役職者会議で支店に行っていた。転勤が発表された後、いつも隣に座っている松本支店長をしている先輩にサテライトオフィスは良いよと言われていた。盛岡に来てみるとやっぱり気分がいい。何てったって上司がいないし、それは精神的に楽だった。でもしょっ中、東北支店長から携帯に電話がかかってきた。よっぽど信用されていなかったのかも知れない。

いよいよ2年目、これから何をしようかと思っていると、販売部から不採算のセルフSSを締めろと矢の催促だった。

この世界、販売量が命、売ってナンボの世界だが、採算性第一の本社方針だった。前任者はSSを作る方に忙しく、思ったように売れないセルフSSが結構あった。結局、二年間で閉めたSSは6店、月間2千klは販売量を減らした。その分、営業委託SSの会社の赤字は減った。作って間もないSSも閉鎖し、今ではコンビニに成っている。

青森の小鹿さんと揉めたのは、不採算SSを一括貸与にして欲しいとのことで、要は貸与料を安くしてくれれば採算が合うとの社長の算段だったようだ。

支店長は不採算のSSを中核店が抱え込むことに反対で、こちらも同意してその方向で話を進めたが、これが社長の逆鱗に触れてヘソを曲げてしまった。それ以来、盛岡には来ないと宣言されてしまった。この関係は転勤するまで続いた。

また、少し癖のある盛岡の老舗販売店主がいて、販売店子息教育経験者で56年入社、奥さんは元秘書室で店主の秘書をしていたらしく、出光社内の話をよく出して来る人で、気位の高い人だった。昔、他の販売店が近くにSSを出したので怒って他社マークのSSを出して、今も二枚看板でやっている。また、そちらの仕切り価格が安いと仕切りに言ってくる。

ある時、携帯に電話がかかってきて、「燃料の仕切り価格が高い何とかしろ」という。担当者に聞いてみたが毎月しっかりと値決めしているし、その必要はないという。その旨回答した所、月末の商品代支払いを勝手に差し引き入金してきた。

これには参ったが、社長本人と話すため、アポを取ろうとしたが、出張と称して逃げ回っていた。自宅前で待っていたが帰ってこない、自宅前で張り込むとは近所迷惑で警察に訴えるぞとまで言われた。

この件の最終決着は、支店長の判断で何らかの価格対応することになった。支店では悪いのは、私ということになっていると当時の副支店長(販売部で一緒だった先輩)に聞かされた。元上司である販売部次長に相談してみろとアドバイスされたので、一度電話した。この人が何らかの動きをしてくれたのだろう、首の皮一つ繋がったみたいだ。もうこの時には私の転勤は決まっていたのだろう。

そうこうしているうちに、三月十一日を迎えることになる。

そのお話はまた明日。

 

 

 

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