最近、寝付きはいいが、目が覚めるのがめっちゃ早いので、ブログを書く時間がしっかり取れる。
それでは、昨日の続き。
支店実習は、大宮支店、今は関東第二支店になっているが、大宮にはもうないと思う。大宮支店では、同期の小石君と一緒に実習した。
事務所は建設会社の3階で天井が低く、下の階に響くので、ラジオ体操の録音はジャンプが飛ばされていた。
大宮支店の潤滑油課は結構な需要家を抱えており、カーメーカーやその周辺工場が多かったと思う。平日は先輩社員と需要家訪問に同行、夜は、アフターサービスの分析サンプル発送、販売計画資料準備等、当時はまだPCはまだそんなに普及していなくて、手書きの表で縦横計算を合わせていた。紙を何枚もノリでくっ付けて表を作った。計算も電卓で、算盤を使っている人もいた。夕方5時や6時の定時に帰る人はなく、社会人の洗礼を受けた気がした。
土日は、販売店さんと一緒に工場のオイル交換、所謂、フラッシング作業を経験した。圧延油交換で文字通り、人間ウエスになって、オイルタンク内を這いずり回ったこともあった。
よく食事に連れて行ってもらった。鴨の陶盤焼きで有名な「はすみ」にもよく連れて行ってもらい、後の埼玉アポロでもよく行った。
当時の独身寮は、上尾にあり、「武蔵野寮」と言った。先に配属された同期は2名、年齢の近い先輩も多く、後にいろんな場所で出会う事になる。ある日、寮の買い置きのビールを見てメーカーがサッポロとアサヒなので、なぜシェアNO1のキリンがないのか不思議に思い、寮長に聞いた事があった。ビール会社ではキリンだけが納入がないので、付き合いのあるサッポロ、アサヒを入れているとのことだった。個人の趣向にも会社の事情が関係してくるのかと思ったが、後に大事なこととわかってきた。
年末から年始のフラッシング作業と年始の販売計画のお手伝いが終わると、いよいよ配属先が決まる。
都会を期待していたが何と配属先は金沢支店、大学の時に一人旅を一度したことがあるが、大学の同期はみんな東京、大阪、名古屋なのに、みんなからお前何かしたのかと訝しがられた。
金沢配属の話はまた明日。