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ブログ八日目、順調に継続

昨日は、一日、家で過ごした。

朝から掃除、あとは、YouTubeとNetflix三昧。夜に娘が来ると言うので、一緒に裏の鮨正で夕食、娘と一緒に食事ができるのは羨ましがられる。私にとっては可愛い娘だ。千葉でキャデイをしている。休暇で以前バイトしていた阿蘇のホテルに遊びに行ったらしい。今朝、阿蘇から熊本、新幹線で博多、福岡から羽田に着いたらしい。ここで洗濯して、夜行バスで盛岡に帰った。8日にまた来ると言っていた。

それでは、昨日の続き行ってみよう。

小倉高校に何とか補欠入学したものの、最初の実力試験は450人中何と445番、田舎中学の実力はこんなものか。最終的には、事務系120番位にはなったものの、マラソン大会を最後に出発と言った感じで、先が思いやられるスタートだった。

1年生は男子クラス、同じ中学の松山君と、今同じ会社で同期の八田君と同クラスだった。

放課後、松山君と教室にいたら応援団の人達に囲まれ、部室に拉致され、入部することになった。私はついていけず、途中で退部、松山君は最後は応援団旗を挙げていた。大したものだ。尊敬に値する。松山君は大学も同じだが付き合いは、ない。

そう言えば、入学早々、彦山の少年の家で合宿訓練が有った。応援団が指導して全校の応援の訓練みたいなもの、また躾の訓練のようなものだった。内容はあまり良く覚えていない。

高校の授業は、前日に予習をすることを義務付けられて、毎晩遅くまで勉強したことを覚えている。ただ授業について行くのがやっとだった。特に英語は不得意だった。文法が全くの苦手だった。それでも試験ごとに成績は数十番単位で上がって行ったので、気分はよかった。やれば成果が出ることを実感した。

授業は、1時間目の前にもう一時間授業があり、6時間目の後にもう一時間授業が有った。一日に8時間授業が有った。朝、日の出前に家を出てから日が沈んでから帰宅する毎日だった。冬には朝その前に朝稽古(柔道または剣道)があり、汽車がないので、友人のお父さんに送ってもらっていた。一日の殆どを学校で過ごし、家では予習と食事と寝るだけの何とも暗い高校生活を過ごした。

三年間男子クラス、三年は事務系だったので男女クラスを期待していたが、何せ元々女子が少なく、2クラスの男子クラスの一つに入った。

小倉高校は歴史のある学校(昔は小倉中学)で、高校野球で全国制覇を二回やっている。学帽の二本線はその証と先生が言っていた。

今でも地元では名門で地元企業には、先輩後輩が大勢いるようだ。採用活動で地元の大学を訪問し、面談した先生に小倉高校出身と言ったら何期だと聞かれた。その先生も倉校出身らしく名簿で調べてくれた。

倉校には制服が三種類あり、夏・冬服と春・秋に霜降りの学生服がありそれを見ると一発で倉校生とわかる。

高校生活あまり良い記憶はないが、受験勉強はなんとか乗り切り、合格圏内の熊本大学を受験した。

父の友人の息子が熊本大学工学部にいたので合格発表を見てくれるということだったので、待っていたが何も連絡がない。また失敗したかと高校受験の時の思い出が頭をよぎった。仕方なく街に遊びに行くとパチンコ屋で同じ熊大を受験した友人に会い、熊大落ちたらしいと言うと、「お前受かっっているよ」と新聞の合格者名を見せてくれた。驚いたが、助かった気持ちだった。それから学校に報告に行った。まずは一安心、浪人をせずにすんだ。

また、今朝も長くなったのでこの位にして、お風呂に行ってきます。

 

 

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