昨日は、朝から晴天、お散歩日和、いつものように、洗濯、お風呂掃除の間、ロボット掃除機がフロアの掃除。午前中、多摩川へ散歩10km。土曜日のちょい飲みセットを目当てに蕎麦屋のたかへ。蕎麦屋のつまみを食べてビール1本、日本酒二杯。二杯目の銘柄を間違ったので、二杯目はお店のサービスにしてくれた。帰りに途中の酒屋で日本酒(雪中梅)を買って、帰って飲んだ。これで土曜日の日課は終わり、いつの間にか記憶がなくなり、さっき3時に目が覚めた。
今日も天気が良さそうなので、朝の散歩と、SUPで多摩川を漕いでくるつもりだ。それから余裕があれば、サウナで昼呑みで締める。
さあ、今日も行ってみよう。
久慈では、6年で四人の所長に使えた。最初の野見山さんには、F2に昇格させてもらった。復興工事の1年間忙しい中で働きぶりを評価してくれた。次の松浪さんは飄々とした雰囲気が特徴で同期の行成さんと一緒に盛岡にコンサートに行った。岩手山に登ったり、温泉に行ったりもした。次の大藤さんは、思いが強過ぎて、いつも所長室に入ると長時間話を聞かされた。私の力不足か、期待感に答えられず、後半は叱責される事が多く、流石に辛くてこのままだと病院通いが必要だと思い始めていた。大藤さんは、JOGMECの所長も大っぴらに非難して、本社から需給部へクレームが入ったようだった。私も辛い状況を人事部へ連絡して榎本次長が何とかしてくれそうだった。
結局、需給部の調査の結果、パワハラ認定がされたようで、人事役職者会議の資料に載っていた。所長は期中で異動になり暫く不在で、技術系副所長が臨時の所長代理を務めた。次の所長の山口さんは61年入社で3人めの後輩上司になる。また元のようなのんびりした備蓄生活が戻ってきた。しかしもうすぐ6年になり、もうこの地は移った方が良さそうだと思った。
丁度、三河観光のバスツアーで大曲の花火大会があったので参加した。お目当ては、山二さんの宴会に合流する事だ。販売部長で同期の内川さんはじめ、販売部隊の面々が招待されていた。事前に盛岡の所長に連絡をして、行くことを伝えてもらっていた。
桟敷席でも一番前の特等席で、昼花火から提供花火まで見た。最後は、三河さんのところに帰ってみたがやっぱり違う。
久慈への帰りは、案の定、大渋滞で大曲を出るのに随分と時間が必要だった。久慈についた頃には、もう朝日が出そうだった。
大曲に行った目的は、次の異動でどこかに移動させてもらいたいという下心が有った。結局、販売部隊からはお呼びがかからず、次の四月の異動で今の職場へ転勤になった。潤滑油部出身の榎本次長の配慮が有ったのだろう。
最後の一年間は割といろんな事があり慌ただしかった。最後に左目に異常があるのに気づき地元の眼科に診てもらったが、眼球内に出血があるという。薬を処方されてしばらく様子を見ようと言われ、そうしていると、視界の一部が黒くかけてきた。娘と相談すると盛岡の眼科で診てもらった方が良いというので、盛岡駅前の眼科を受診した。結果は網膜剥離ということで、もう相当網膜が剥がれており、しばらくすると見えなくなるという。来週にでも手術した方が良いとのことで、市民病院に入院することになった。
以前、レーシックの手術をしているため、網膜剥離の合併症の白内障の手術ができないとのことなので、そこでは網膜剥離の手術だけだった。しかし出血の為、眼球の中が見えないため、術後の網膜の状況が分からない。眼球内の血を取り除く手術をまた行い、暫くして退院できた。
入院中に異動の内示があり、転勤先への挨拶や、引越しの手配を病院のベットで行った。WiFiの使える一階ロビーにずっといたら、看護師さんに怒られた。
退院後も左目はしばらくよく見えず、眼球内に水が溜まる様子がよくわかった。一ヶ月後の検診を終わり次の病院の紹介状を書いてもらい盛岡を去った。
久慈の送別会、後任者への引き継ぎも終わり、3月30日に引越し、その日の夜の夜行バスで川崎に向かった。翌朝には荷物が届いて荷入れを行った。なんとも慌ただしい引っ越しだった。
それでは、今日はこのくらいにしてまた明日。