昨日は、夜中に起きて二度寝できず、昼間はすごく眠かった。今朝も起きたのは1時20分、今日は新幹線で昼寝しよう。
昨日も、一日Teams会議、パワハラ事件のヒアリング、人間って、他人からの見方はそれぞれ変わるので、自分は一面しか見ていないということが良くわかった。自分の身に振り替わって考えてみようと思った。
それでは、昨日の続き、
本社、販売部では組織替えがあり、販売三課は営業一課と名称変更になった。全国にも営業課ができた。原油価格がどんどん下がり、中間留分の価格是正が急務で、計画出荷という施策も始まった。販売会社なのに好きなだけ売ってはいけないという時代だった。
そうしているうちに、湾岸戦争が始まり、原油価格が高騰、製品市況も好転して、石油会社の収益も回復した。一息ついた瞬間だった。
石油会社は何年に一回かこうした神風が吹いて、元気を取り戻すことが多い。だから会社数が多く、過当競争が続いていた。今じゃ考えられない。
本社にいる時に結婚した。相手は、同郷の北九州の人、30歳前でそろそろ結婚しようと思い、親にいい話があれば、紹介して欲しいと頼んだ、数人紹介してもらったが、あいにくご縁がなかった。今の妻は、実家のお向かいさんの奥さんの同僚のお姉さん。
父親を病気で亡くし、母子家庭、四人兄弟の長女で、転勤して故郷を離れても構わないとのことだった。容姿はそんなに気に言ったわけではなかったが、母子家庭で金銭的にしっかりして居そうなことと、兄弟の弁当を作っていたということで、料理がうまいと評判だったので結婚した。まあその読みは間違ってなくて、二十数年後の今では自宅も持っているし、老後の資産も少しは蓄えられた。結婚当初の食事は豪勢だった、今はそうではないが・・・
すぐに子供が欲しかったが、妻は重症の子宮内膜症で生理のたびに寝込むほどひどく、麻布の赤十字病院に通っていた。しばらくピルを飲んで生理を止めていたが、結局手術をして卵巣を一個とった。私は、出産には問題がないということで、手術に賛成した。
手術後、数年子供はできなかったが、広島へ転勤した後、水が変わってよかったのか、最初の子供ができた。この経緯は後に話したい。
そんなに好きで結婚したわけではなかったが、夫婦仲はそんなに悪くはなく、毎日、早く帰って一緒に夕食を食べ、休みにはいろんなところに遊びに行き、外食や外国旅行にも毎年行っていた。子供がまだ居なかったので、夫婦二人で都会生活をエンジョイして居た。今考えると夫婦の一番良い時代だったと思う。
妻は、大田区久ヶ原の社宅から都会のいろんなところに遊びに行って居たらしい。専業主婦だし、こちらも都会生活を満喫していた。
そんなこんなで東京生活も長くなり、いよいよ転勤の時期となってきた。転勤先は広島、それでは、また明日に続く。