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ブログ二十三日目、三連休終日

昨日は、台風一過の晴天で気持ちも良かったので、サイクリング20km

今日も天気はいいので、SUPで多摩川クルージング予定。

それでは、今日も続きます。

東京支店へは、五人の同期が転入し、元いた同期一人と60年入社は六人と大勢力になった。

その中でも、小倉高校の同期が三人集まり、大先輩の竹内副支店長と後輩のヒガキ石油の娘と五人の倉高出身者で同窓会をした。

東京支店では、販売一課に配属され、外販店、産業用燃料の軽油を担当した。用途が産業用なので、潤滑油課から転勤してきた私も取っ付きやすかった。また軽油の担当という点もジーゼル繋がりで分かりやすかった。

販売一課は隅田課長の元、ベテランから若手まで年齢構成もバランスよく当初から楽しく仕事ができた。ただ、一年で、販売二課の東くんと一緒に販売企画課に異動になりちょっと寂しかった。販売企画課では、能登谷さんの元で販売促進を勉強し、揮発油を担当した。

同じ頃、本社販売部から副支店長で野田さんが転勤してこられ、よく副支店長席の前で立たされて指導された。非常に思い出深い。

販売一課に居た頃から、本社販売部との繋がりができて、会議等で説明に行くことが多くなった。軽油担当の時は、販売部販売二課、販売企画課では販売部販売一課と仕事をする機会が増え、顔も広くなった。

二十代半ばで、それもバブル期に東京で過ごすことができ、金沢とは環境が大きく変わり、楽しくも厳しい会社生活が続いていた。

独身寮は荻窪寮といい、SSの二階、その上には社宅があった。所謂、高層化SSだが今は建物は取り壊され、セルフSSとなってる。

白山寮と違い、寮生も多く、寮会も賑やかだった。

最初は大部屋に先輩と二人部屋だったが、しばらくして平成元年入社組が大量に辞めてその余波で独身寮が一人部屋になることになり、大部屋は改装されて個室となった。

世の中は、好景気で採用活動は買い手市場、当社の独身寮が一人部屋になるとは時代が変わっていくのを感じた。

今朝は、これ位で朝散歩に行ってきます。

 

 

 

 

 

 

 

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