外は、これから台風がくるため、風の音が強くなってきた。
今朝は雨で朝散歩ができないので、ブログをゆっくりと書ける。では昨日の続きを始めよう。今日は金沢・北陸についてを書いてみる。
金沢と言えば、言わずと知れた北陸の「小京都」、名所旧跡も多い観光地、背景には能登・加賀の温泉地もあり、他の地域から見ると羨ましいところかもしれない。
初めて、金沢の人に言われたのは、「弁当忘れても傘忘れるな」ということだった。それ程、雨の多い土地だということ。米所と言われる所は、水が豊富=雨が多い。
ご多分に漏れず、北陸も米所=雨が多い。特に冬はこれが雪に変わる。寮母の徳丸千代さん曰く、昭和38年の三八豪雪の時は、2階で寝ていても雪を踏む足音が聞こえたということだ。2mは一晩で積もったということ。おかげで冬は、朝から雪かきが大仕事になる。
北陸は当たり前だが、夏暑くて、冬寒い。典型的な四季がハッキリとした気候である。夏涼しい東北とはちょっと違う。
冬、年末近くになると、「雪お越し」別名「ぶりお越し」と言って、真夜中にいきなり雷が鳴り出し、それを合図に雪が降り始める。その頃から富山湾では、寒鰤が取れ始める、季節の風物詩だ。九州育ちの私にはびっくりしたことを覚えている。
北陸人の人柄を表す言葉に「越中強盗、加賀乞食、越前の詐欺、能登の人殺し」というのがある。ひどい言われ方だが、なんとなく雰囲気は伝わると思う。
とはいっても毎年の住みやすい県、ベスト3はいつも北陸三県が占めているし、先輩や奥さん達の話を聞くと物価は安いし住みやすいと言っていた。
私たち独身者にとっては、冬は、スキー場が近いのがありがたかった。生まれも育ちも九州の私は、スキーは阿蘇の人口スキー場で一回滑ったきりで全くの素人だ。最初の一年は、今更スキーって感じで乗り気ではなかったが、二年目からせっかく北陸に来たんだからと始めたらハマってしまった。それからは、冬は週末スキー三昧、その頃は週休二日じゃなかったので、土曜の夜のナイタースキーにも行った。街中から1時間足らずでゲレンデにつく好立地はスキー好きにはたまらないだろう。
そのうち、金沢のスキー場では飽き足らず、富山、岐阜高山の流葉スキー場にも泊り込みでよく行った。
おかげさまで、スキーは少しは上手くなった。
春になると、新入社員が入り、毎年金沢にもSS実習にくる。事務系、技術系それぞれ二人ずつ来るが、事務系社員は今でも付き合いがある。SS実習中は、休みに観光地を案内したり、テニスに連れて行ったりした思い出がある。寮会も頻繁にやっていて、ビールを多めに仕入れて普段飲みにも不自由しなかった。
一度、2階のベランダをビヤガーデンに見立てて宴会をしたことがあった。白山寮は犀川の河畔にある為、なんとも風情があった。今は取り壊され、寂しい限りだ。
寮の駐車場は、直帰用に駐車スペースがあったが、何人も車で帰ると止めるところがなく隣の空き家の駐車場に泊めていて、付近に住む自称管理人のお婆さんから随分クレームを言われていた。
ある時、一年下の渡辺君が、地元町内会(中川除町)の運動会の参加依頼を町内会から受けてきた。
どうせ暇なので、寮生全員で参加すると、そのうるさいお婆さん始め地元の人たちの見る目が変わって、随分と寮生のお株が上がった。それ以降は違法駐車は咎められなくなった。なんともいい思い出というか、地元とともにを体現した。
後輩も、一年下が二人、二年下が一人、三年下が一人入り、私は転勤した。通常は、次の後輩がきて入れ替わりに転勤になるので、もう一年金沢にいると思って居たが、潤滑油課がなくなることとなり、それと合わせて減員となって私は、他支店の同期と同じく7月転勤になった。
前に中央訓練所で三年目社員教育があり人事部との面談で、以前、新人役職者教育の部下レポートが問題となっていたらしく、どんなやつかと人事課長に興味を持たれていた。次の支店は大支店がいいか、小さい支店がいいかと聞かれたので、金沢は小さい支店だったので、次は大支店がいいと行ったら、転勤先は東京支店になった。
金沢には、二年と四ヶ月、他の同期と比べると少し短かったが、社会人最初の配属先として多くの思い出が残る地となった。最後の日は、会社の人から見送られることもなく一人で、寮から、バスに乗り、思い出に浸りながら、小松空港から東京へと旅だった。
長くなりましたが、今日は、これ位にして朝風呂に行ってきます。